ラサの大昭寺 聖秘市シャンバラと聖白色同胞団の二人のチェラ

2018年3月6日

私が初めてチベットのラサを訪れたのは一九九三年三月のことで、その当時個人旅行でチベットを訪れることができなかったこともあってこの旅行では主に秘境などを訪れるツアーを企画していた東京に本社のある旅行会社のチベットツアーに参加していた。日本を出発したのはこの年二月の最終日、二月二十八日に成田空港からの出発後上海、成都で二度飛行機を乗り継いでチベットを訪れていて、ちょうど二十五年前の今日はチベットの首都ラサの街にいた。行きのラサへの乗り継ぎ便では成都で一泊していて当時のことで現在でもはっきりと記憶に残っているのは、泊まったホテルの女性スタッフの黒の中国服がとてもオシャレで、また美人すぎると思えてしまうほどの美人スタッフばかりだったこと。
ラサに着いた後昼食で立ち寄ったレストランの裏手に広がっていたポタラ宮の見える空き地に立ったとき、私自身の霊体の光が一気に拡大するという神秘体験が起こったけれども、これはたぶんチベット僧だった頃のどこかの前世で私自身の魂が聖者のような光輝を放っていた時の波動が一瞬だけ甦ってきたといった印象もあった。このとき経験した意識の上昇といった言葉でも表現できるような私自身のエネルギーの拡大はこの時期ラサでの滞在中再び起こることはなかったが、帰りの上海で一泊したホテルの客室での深夜から明け方にかけての瞑想中に一度だけ経験していて、その日はちょうど満月の晩だった。そしてこのような経験が初めて起こったのはその二か月前一九九二年十二月のエジプト滞在中のことで、その時は拡大していた私自身の霊体の光がナイル川のクルーズ船の中で起きた些細な出来事が原因でハートが潰れ、一気に萎んでしまうといった経験をしていた。そしてたぶん一時的な上昇の場合であっても霊体の光のエネルギーの拡大がある臨界点を超えるような大きな形で起こった場合には魂の光輝としてのエンライトメント、イルミネーションが起こり得るのだろうといった感触も得ていたけれども、記憶に残っている範囲でのこの時期に経験したほどの大きなエネルギー上昇はこの年のチベット旅行から四年ほどが過ぎた一九九七年十二月の南インド滞在中の時期まではほとんど起こらなかったような気もする。ということで一九九三年にチベットを訪れていた時期やその二か月前のエジプトでの滞在中の私自身の波動は、その時期の地球全体での集合エネルギーの高まりの影響もあってか一時的ながらとても高いエネルギー状態にあったのだろうと思う。一九九二年のエジプト滞在中にエネルギー上昇が起こった時には、OSHOが仏陀や彼自身が光明を得た時から眠りに落ちている時でも意識が失われることがなくなったと語っているように、私の場合一時的な出来事ではあったがエンライトメントがまだ起こっていないにも拘らず通常の意識がベッドで眠りに落ちていながらも霊体の知性とでも呼べるようなべつの意識が目覚めた状態にあるといった経験も起こっていた。
私がチベットのラサに興味を持ち始めたのは一九九二年十二月のエジプト、ギザでの滞在中いっしょのツアーメンバーの一人から、エメラルド・タブレットというタイトルの本を見せられその本がアトランティス人トートによって鮮緑色で不壊不懐の合金板に記された書物の翻訳であることを教えられ、この本に興味をひかれた私が日本への帰国後に書店でエメラルド・タブレットと同じ棚に並んでいた秘教真義というタイトルの本をみつけ、この本の最初の頃に書かれていたチベット、ラサの地下にあるという聖秘市シャンバラについての記述が目に留まり、その内容に興味をもったことがきっかけだった。著者であるアメリカ人のドーリル博士の記述によれば、聖秘市シャンバラはラサの地下一三〇キロほどの所に位置する大空間にあるそうで、ここには聖白色同胞団(アトランティス時代にはすでに存在していたと言われる秘教グループ)の大師がたや霊的に高く啓発した人々が住んでいるらしい。そしてここにおられる大師方の数は一四四人とされていて、地上人類の霊的な成長をかげから援助するのが彼らの任務だと言われる。そして地上の人間たちの中でこれらの大師方と直接会うことの出来るのは、彼らの使いをしているチェラたちを除けば、すでに最終段階のイルミネーション(注:1)に達した者達だけだという。またこのような聖秘市は地球上に全部で七つ存在するそうで、カリフォルニアのシャスタ山にあるシャンバラもそのうちの一つだそうだが、チベットのシャンバラは七つのうちでも最も中心的な役割を担っているらしい。そしてそのシャンバラに続く秘密の通路の入口はラサのある大寺院の内奥部に隠されていてその入口の存在はラサの最高級の僧たちにしか知られていないという。
私が実際に現地ラサを訪れて感じた印象では寺院自体はそれほど大きくないがそのエリアから感じられる神聖な気配や、寺院境内で巡礼者にすすめられ地面に額をつけ五体投地を行った際などにビリビリと痺れる程のエネルギーが伝わってきたことなどからそれが通称ジョカン寺と呼ばれている大昭寺のことなのだろうと確信するようになっていた。大昭寺はラサの最古の寺院としても知られているようで、また初めて大昭寺を訪れた際には寺院内部にある過去仏、現世仏(釈迦牟尼仏)、未来仏の三体が並んで安置されているジョカン部と呼ばれる建物の見学を終えそのお堂の外へ出る際、私がこの日の朝目が覚める直前に見ていた夢の景色がデジャブとして実際に目の前に広がったのだった。このとき二人のチベット僧がジョカン部の建物の奥の方から現れて、中庭の中央にあるお堂の入口の扉の左右に並んで立ち二人で両側から入口の扉を閉めたのだった。そしてその際面長で長身のチベット僧と一瞬目が合い「おまえはまだだ」といったような声が以心伝心で伝わってきたような気がしたのだ。私はこの二人のチベット僧の瞳が覚者のようにキラキラと輝いていたこと、そして彼らに実際に会う前に朝の夢の中で二人を見ていたことから、きっとこの二人が聖秘市シャンバラに続く秘密の入口を守っているという二人のチェラのことなのだろうと感じ取ったのだ。そしてこの二人は、この五年後の一九九八年に私がギザのメナハウス・ホテルで眠っている間にビジョンで見た、大スフィンクスの地下通路を二人のエジプト人に導かれて歩いていた時の両側に立っていた二人ともよく似た波動が感じられ、一人は長身で面長、もう一人が中背で丸顔といった風貌的も大昭寺で会った二人のチベット僧ととてもよく似ていたのだった。大昭寺に関しては後に聞いた噂話にすぎない話ではあるけれどもこの寺院の境内での瞑想中、寺院のずっと地下深くから小鳥のさえずりのような音を聞いたことがあるという瞑想者もいるそうだ。
そんなこともあり私は大昭寺を見学した後、深夜なら内密に何かが起こるかもしれないと考えラサを発つ日の前夜の夜更けにこの旅行で一緒だった連れ合いの女性を連れて再び大昭寺を訪れたのだった。その夜は満月に近い十三夜の月夜で、泊まっていたホテルの拉薩飯店、ホリデイイン・ラサから徒歩で歩き始めてその後近くを通りかかった人力のリキシャを呼び止め、そこからはリキシャで大昭寺に向かった。途中ポタラ宮の近くを通りかかった際にはリキシャを止めてもらい、月明かりに青白く浮かび上がったポタラ宮に向かって連れと二人でしばらくの間両手を合わせ礼拝の祈りを捧げた。その後大昭寺が視界に入ってくると、リキシャの運転手が寺院の方を指さしながら静かに「ジョカン!」と言い、彼の声が静まり返った真夜中のラサの街に響き渡った。そしてこの時彼の発したジ・ョ・カ・ンという言葉の響きがなぜかとても懐かしいものであるかのように感じられ私の胸に深く染み入ってきてしまったのだった。
大昭寺に着いてしばらくは連れと二人で寺院入口の大きな扉の前に座って瞑想に入り、日中に寺院の中庭の奥に位置するジョカン部のお堂の扉の前で見かけていたあの二人のチベット僧が内密に私を迎えに現れてくれるよう祈ってもいた。しかしながら何も起こらないままただ時間だけが過ぎていき、標高四千メートル近い高地の深夜の極度に冷え切った空気が身に染みてくるばかりだった。
そして夜明けが近づいてきた頃にはエメラルド・タブレットに書かれていた、シャンバラに通じる秘密の入口で唱える必要があるという呪文も何度か唱えてみた。
「エードム エル アーヒム サーバート ズール アードム」
しかしながら大昭寺の入口の扉はしっかりと閉じられたままで、終いにはやけ気味になって寺院の扉をたたいてみたりもしたけれども結局何も起こらなかった。
秘教真義の中のシャンバラに関する記述のある章は英冊子『Instruction of a Master to His Chela』からの林鐵造氏による翻訳でオリジナルの英冊子は後年アメリカのブラザーフッド協会から国際郵便で購入していて、翻訳者の林鐵造氏にも一九九八年秋に富山の白朋舎を訪れた際一度だけ直接会ったことがある。白朋舎を訪れた際のことで今でも記憶に残っているのは、彼からドーリル博士がアトランティスのマスターの一人ホーレットの転生者であると教えられ、ホーレットがギザの大スフィンクスの建造者であるといったことも話していたような気がする。そしてこの時私はドーリル博士がエジプト、ギザの大ピラミッドに収めたというエメラルド・タブレットはユカタン半島のどの神殿から持ち出されたものであり、また大ピラミッド内のどこに収められたのかを林さんに聞いたのだが、それに関する情報は彼自身も得ていないようだった。
白朋舎の二階には礼拝室があって、そこには三つの空の椅子が並べて置かれていてそのうちの一つがホーレットを礼拝するための椅子であると林さんは語っていた。私はその後エジプトでの滞在中、瞑想中にたった一度だけホーレットのエネルギーが感じられたような感触を得た経験をしているけれども、今思い出すとその時感じられたホーレットのエネルギーと、白朋舎の二階の礼拝堂で感じられたエネルギーがとてもよく似ていたように思えてしまうのだ。ちなみに同じアトランティスのマスターの一人でエメラルド・タブレットの著者としても知られるトートについては、特にエジプト、ギザでの滞在中何度も彼のエネルギー(意識体)と接触したことがあり、二〇〇九年秋にはエジプトを訪れる前の日本で白い花をもったトートが私の夢枕に立ち、それがきっかけですぐに航空券を手配しエジプトを訪れたこともある。他に一九九九年秋のエジプト、ギザのピラミッド・エリアでの滞在中には私自身は目を閉じ瞑想に入っていたので部屋の空間に出現したトートのエネルギー体を感じていたけれど、一緒に瞑想していた二人のエジプト人の一人はこのとき部屋の真ん中に立っているトートの姿を見たと話していたこともある。ギザのピラミッド・エリアの警備員にはこのようにトートを直接知っているというエジプト人を私は他にも知っている。そして彼らはみなトート、またはトウト、トオトと発音していて、トトや英語読みのトス、ソースといった発音をしないという共通点もある。
ヒマラヤ山脈の中心部から開けている地下大空間に位置し、ラッサ市のちょうど真下にあるという聖秘市シャンバラについてはドーリル博士の記述によって次のように語られている。

『・・・その入口からシャンバラまでを結ぶ、エレベーターの通路に似た大立坑がある。その立坑空洞の中を地球引力制御装置によって動く車がある。寺院建物内のシャンバラ入り口の存在は、ラッサの最高級の少数の僧達しか知らない。そこは彼らにとっては“神秘中の大神秘”であり、聖白色同胞団のマスター(大師)の弟子(チェラ)の二人だけがその入口を開く方法を知っている。・・・

シャンバラは、中央にある寺院から四方に数マイルも広がっている大空間である。シャンバラは、寺院の真上に浮かぶ巨大な放射物質によって照らされている。この大光球は、有害な放射線をまったく投射せず、生命力を与える有益な光線のみを送っている。ここから出る放射線は、シャンバラの土地を肥沃にしているから全域が熱帯地方のようである。

シャンバラには、この地上には全くない不思議な植物が育っている。それらは、何千年も何万年も前に植えられたものである。また、その植物の中には、地上のものと全然違った奇妙な特性をもっているものもあり、地表のどこにもない色、香り、形の果実を結んでいる。

そこかしこに小さな白い建物が点在していて、外界の最高の科学者達が想像もできないような働きをする機械類が格納されている。このシャンバラ空間の丁度まんなかにある大寺院は、地球の中心部にあるシュリハンの住むものについで古い建物である。この寺院建物は、地表ではまだ未知の不壊不懐の合金で出来ており、その合金の一部の成分元素は、他の天体から持ち込まれたものである。この寺院には、無数の部屋があり、それぞれの役割をもっている。寺院の中央に大ホールがあって、この天井は、真上の大光球の光がこのホールの大テーブルを直接に照らすことが出来る様に透明な丸天井となっている。この大テーブルの周りに百四十四のいすが置いてあり、聖白色同胞団の大師がた百四十四人の席となっている。このいすは、時々開かれる大会議に大師がたが座られるところである。・・・』(注:2)

 

(注:1)秘教真義に書かれたドーリル博士による解説では魂の光輝としてのイルミネーションの最初の段階である第一イルミネーションは聖なる光を見ること、第二イルミネーションは聖なる光で充満されること、最終段階の第三イルミネーションは聖なる光と一体になることと述べられている。

(注:2)M.ドーリル博士著『秘教真義 ―ヨガの大聖堂シャンバラと大白色聖同胞団の解明― 』(霞が関書房刊) 参照

公開日 2018年3月6日 火曜日

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