松蔭寺 座禅堂とティルヴァンナーマライ アルナーチャラ山頂の夜

2014年12月11日

今日十二月十一日は白隠慧鶴禅師が沼津市、原の松蔭寺で肉体を去った日、遷化された日だそうだ。私が松蔭寺を初めて訪れたのは二〇〇六年秋のことで当時の私は四十二歳、四十二歳は白隠禅師が松蔭寺の境内で最終的な大悟に至った歳でもあるらしい。私はこの年の年末のインド、ネパールへのスケッチ旅行を兼ねた瞑想の旅に出かける前に旅の無事の祈願も兼ねて、今は亡き父と共に彼の車で立ち寄ったのが最初だった。今日十二月十一日はインドの神秘家OSHOの誕生日でもあり、ちょうど二十五年前の今日私は現在はプネーと呼ばれているインドのプーナに滞在していて日没後の時間帯には肉体を去る直前の時期であったOSHOとの瞑想の時間を過ごしていた。その後瞑想ホールでは彼の誕生日を祝うためにOSHOアシュラム(現在はOSHOメディテーション・リゾートと呼ばれる)を訪れていたインドの人間国宝としても知られる著名なバーンスリー奏者ハリプラサード・チョウラシアさんのコンサートも開かれた。また、その十日ほど前までは数日間の滞在で日本人女性の開眼者として知られる仏眼宗の菊池霊鷲師(霊鷲太母)もOSHOアシュラムを訪れている。 
十代の若い頃の私にとっての禅寺は、人生で大きな壁にぶつかった時などに際して訪れる精神修養の場としてとらえている傾向が強く、初めての大学受験に失敗した時やその後の予備校時代の受験前などにはよく父に連れられて三島市にある白隠禅師開基の龍澤寺を訪れていた。今現在でも禅寺を訪れて静かに座って瞑想に入る際には、時には解決策などが見つからない問題に対して私自身の知的理解を超えた領域からのアイデアを求めたいという思いから瞑想に入ることや、特定の対象に向かって祈りを捧げる、瞑想の祈りを捧げたりすることもある。しかしながら現在の私にとっての瞑想はあくまでも精神修養やまた何かの対象物に向かって祈りを捧げるようなものではなく、それはただ座るという意味合いでの只管打坐であるのだが、ちょうど去年の十一月末に二〇一三年の年末をどこで過ごすべきかを決められずにいた際に松蔭寺の座禅堂(注:1)を訪れた時には、私自身の知的理解を超えた領域からのアイデアを求めたいという思いから瞑想に入った。またこの時には姿なき白隠和尚からの教えを乞いたいという願いもあったのだ。 
そして座禅堂の白隠和尚の彫像が見える場所に座り瞑想に入ってすぐに南インドの聖地ティルヴァンナーマライにあるアルナーチャラ山頂の夜の景色が浮かび上がってきて、何度もそのビジョンを振り払い続けたのだけれども結局アルナーチャラ山頂の夜の景色が見え続けてしまっていた。そしてその数日後にはインド行の航空券を手配することになり、松蔭寺の座禅堂での瞑想中に見た夜の景色はこの年の十二月二十一日の冬至の日の夜アルナーチャラ山頂で実際に目にすることになる。
私はその前年の二〇一二年十二月にはエジプトのギザを訪れていたのだがこの年の十二月二十一日の冬至の時間の前後、特に冬至に至る前の数時間のギザのピラミッド・エリアは私がそれ以前に経験したことのない超常的とでも言える程のエネルギー上昇が起こっていて、あまりに膨大なエネルギーが流れ過ぎてほとんど巨大な磁石と化してしまったクフ王の大ピラミッドは今にも破裂してしまいそうな印象さえ受けていた。そしてこの年の冬至に起こったとされる銀河の整列と呼ばれる地球・太陽・銀河の中心が直線状に並ぶ出来事は一万年以上のとても長い周期で起こる天体現象なのだそうで、もしその直列によって特別なエネルギーが生み出されるならそれは二〇一二年の冬至だけでなく、いて座の銀河中心付近に冬至点が位置している数百年間はその影響が起こり得るものではないかといったことも語られていて、私としては二〇一三年も可能な限りのベストな場所で冬至の日を迎えたいと考えていたのだ。そしてこの年の冬至はインドの現地時間では夜の十時半過ぎで、アルナーチャラ山はゆっくり休みながらでも一時間半ほどの時間があれば登頂することができるので、自然な成り行きとして日没後に山を登り始めることになった。 
この山の山頂の北側を少し下った場所には私が至聖所と呼んでいる古代の聖者イダイ・カダルもまたそこで瞑想に入ったという言い伝えがあるとも聞く岩盤があり、この場所では長い歳月に渡って無数の瞑想者たちがエネルギーレベルでの光明(エンライトメント)、イルミネーションを経験してきているからなのか、この岩盤の上に座ってちょうど胸の辺りにくる高さの空間に光のエネルギーの通路のようなものが出来上がってしまっているのを感じ取ったこともある。そして実際この場所は私のこれまでの人生の中で自身のエネルギーに最も大きなエネルギー・シフトが起こった場所でもあり、それは通常のシフトとは違い私自身のエネルギーが原子のような極微のレベルで分解していき、それと同時に膨大なエネルギーが放出されるといった印象の出来事でもあった。しかしながらアルナーチャラ山頂は北からの強風が吹いていることが多くこの夜も北からの強風が吹いていて山頂や山頂の北側を下ったエリアでは長時間の瞑想が難しい状況だった。それで結局山頂の東側を少し下ったエリア、松蔭寺のビジョンで見た景色のエリアにある大きな岩の上に座ることになった。この場所はディーパム祭の時期に灯される山頂の聖なるかがり火が置かれる岩盤のちょうど真下近くに位置していて、私がアルナーチャラ山頂で瞑想に入る際に座ることがもっとも多い場所でもある。他に山頂の西側のエリアは数メートル下まで切り立った崖になっていてこのエリアを訪れる人はほとんどなく、また南側を少し下ったエリアは山頂に続く登山道の終点辺りに位置していて風もほとんどなく長時間の瞑想には最も快適な環境なのだが、そのエリアには長年現地のスワミが山籠もりをして暮らしていたので彼に配慮して私自身はほとんど近づかないようにしていた。
後日日中の時間帯に再び山頂を訪れた際に頂上にいた現地の若いスワミたちに聞いた話では、今現在このスワミは足の病気の治療で山を降りているそうで、彼の庵の隣に数人が入れる程の小さな山小屋も造られていた。そして最近では日中に食料品や寝袋などを持参して山頂を訪れ、ここで一夜を過ごす西洋人のツーリスト達も多いそうだ。しかしながらこの山は地元のヒンドゥー教徒達にはシヴァ神の御神体としての信仰が篤く、靴を履いたままで山頂を歩くことは一般のツーリストであっても禁止されていて現地のほとんどの人たちは山の麓で靴を脱いでから登っている。またアルナーチャラの山中では以前にラマナアシュラムに滞在していた西洋人女性が襲われる事件なども起こったことがあるそうでラマナアシュラム滞在者の女性が一人でアルナーチャラ山中を訪れることは今現在でも禁止されているようだ。 
それでもこの二十年余りの間の私自身の経験ではこの聖なる山の頂での瞑想が“極上の贅沢”といった言葉で表現できるような格別な至福のひとときであることを実感してきているのも事実ではある。しかしながら南インドの酷暑の時期の日中の時間帯や雨季の時期などの登山中に突然雨が降り出し天候が荒れてきてしまったような状況で山頂を訪れることは過酷といった言葉が相応しいような状況なので、アルナーチャラ山中で他に私が瞑想のために訪れる場所にヴィルーパークシャ洞窟、ヴィルーパークシャ・ケーブがある。(注:2)この洞窟の名はそこに住んでいた聖者ヴィルーパークシャ・デーヴァ(Virupaksha Deva)の名にちなんでつけられているそうで、この聖者は臨終を迎える際に、彼自身の肉体の形をした聖灰の塊だけを残し姿を消してしまったとも伝えられているそうで、その時残された聖灰が現在洞窟の中に祭壇のようにして祀られているそうだ。そしてここは若い時期のラマナ・マハルシが多くの時間を過ごした場所としてもよく知られている。私は以前のティルヴァンナーマライ滞在中、眠っている間にラマナアシュラム在住のスブラマニア・スワミに連れられてどこかの神聖な波動に包まれた山中にある洞窟の入り口を入っていく夢を見たことがあって、この夢を見た後スブラマニア・スワミに直接この話をしてみたことがある。その際彼はアルナーチャラ山の方を指さしながら「それはハート・ケーブ(ハートの空洞)のことだろう」と語っていたので、私が夢の中で彼と共に入っていった洞窟の入り口はアルナーチャラ山中にあるヴィルーパークシャ・ケーブのことだったのであろうことが理解されたのであった。そして実際のヴィルーパークシャ・ケーブは洞窟を入って数メートル先で行き止まりになっているのだが夢の中で訪れた洞窟は山の奥深くまでずっと進んでいくことができたのだ。 
夜間の特に深夜から明け方にかけてのアルナーチャラ山頂は乾季の晴れた日であっても濃い霧に包まれることが多い。しかしながら二〇一三年の冬至の夜は山頂に着いた時点では周囲はまだ晴れ渡っていた。
私は山頂の平らになった一番高いエリアでしばらくの時間を過ごした後、瞑想に入るために山頂の東側から少し下ったエリアに降りていった。この夜はこのエリアまで風が吹き込んできていたのでトレーナーを一枚上に着てから大きな岩の上に座った。そして瞑想に入ろうと思い正面を向いた瞬間、ちょうど地平線から昇ってきたばかりの赤黒く輝いた月が私の真正面に目に入った。 
エネルギーの高まりといった点では、一般に地球が月と太陽の間に挟まれる満月の時期にエネルギーの上昇を感じることが多く、実際以前に起こった私自身のエネルギー・シフトもそのほとんどが満月の時期の深夜から明け方にかけての時間帯に起こっている。仏陀は満月の夜生まれ、その同じ月の満月の夜光明を得て、またその同じ月の満月の夜肉体を去り涅槃に入ったという話を聞いたこともある。しかしながらこの時期の二か月ほどのアルナーチャラ滞在では満月の時期とは少しずれていたけれども大きな流れとして冬至の時期に一番のエネルギー上昇が起こっていたという印象があった。 
二〇一三年冬至の夜のアルナーチャラ山頂の瞑想では午後九時過ぎに瞑想に入る際、地平線から昇ってきたばかりの月のエネルギーが私のハートとつながり、その後空の高いところまで昇ってきた月のエネルギーが今度は私のサードアイ(第三の眼)に反応し、全身を滝の流れのように上昇し続けながら頭頂を突き抜けていくエネルギーがいつも以上に強烈に感じ取れた。またこの夜の瞑想時にはその二か月前の宮島の弥山山頂での瞑想時に続き、万物の背後にある創造の根本原質(注:3)といった言葉で表現できるようなものとしての真我、アートマン(注:4)が知覚可能なものとして顕在化される現象も起こった。そして今ここで書いている一切に遍満する不変なものとしての真我、アートマンは、エネルギーの高い低いで語れるようなものではないけれども、顕在化という現象が起こることに関しては、それが最近顕著に感じられるようになってきているこの惑星上の聖地、パワースポット周辺のエネルギーの高まりと何らかの関わりはあるのかもしれないとも感じている。 
この夜は深夜の午前零時に瞑想を終え、その後数枚のドローイングを描いてから最後にもう一度山頂の一番高い場所を訪れて午前一時前には山を降り始めた。

(注:1) 松蔭寺の座禅堂は2014年12月現在修復中で入ることができません、修復の終了は2016年頃になるそうです。白隠禅師の彫像は圓通殿に移動されていてそちらでの見学が可能です。

(注:2) ヴィルーパークシャ・ケーブ(ヴィルパクシャ・ケーブ)はアルナーチャレーシュワラ寺院裏門を出て右手の寺院角辺りから山頂まで続いている登山道を、手前にムライパル・ティルタム(Mulaipal Tirtham)と呼ばれる貯水池のある登山道沿いの左手に建つ最後の建物(ラーマ・アンナマライ・スワミのアシュラム)まで登っていき、この建物とそのすぐ前に建つ小さなサクティ寺院の間から左側に続く緩い坂道をしばらく登っていった先にあります。歩く距離は登山道入り口から十分前後で、夜間の時間帯は洞窟内に入ることができません。ムライパル・ティルタムの水はヴィルーパークシャ・ケーブに住んでいた頃のラマナ・マハルシもよく使っていたそうで、水の不足する夏の時期などは貯水池のすぐ上に建つ小さなサクティ寺院で寝起きしていたこともあったそうです。

(注:3) インド哲学用語のプラクリティを意味する根本原質とは異なり、ここでは文字通りの意味と言葉の響きから根本原質という単語を使っています。

(注:4) アートマン(Atman)は人間の霊魂やハイアーセルフ、観照意識、霊性のステージなどを表現する単語としてではなく、ここでは物理用語で使われる原子(Atom)といった言葉のようにこの宇宙を構成する原初の基本要素のようなものを意味する単語として使っています。真我とも訳されるサンスクリット語のアートマンは書かれた文献や時代の違いによって複数の意味に使われてきている言葉なのだそうで、カタ・ウパニシャッドのように同一文献内に霊魂やハイアーセルフのようなものを意味する単語としてのアートマンと、万物に浸透している宇宙の原初の基本要素のようなものを意味する単語としてのアートマンが混在しているものもあり、これについては後代の付加によるものではないかと指摘しているコメントを見かけたこともあります。

◇ アートマン(Atman):『世界大百科事典 第2版』より 
サンスクリット語で、インド哲学において自我をあらわす術語。〈我(が)〉と漢訳される。原義については諸説がある。しかし、本来は〈呼吸〉を意味したが、転じて生命の本体としての〈生気〉〈生命原理〉〈霊魂〉〈自己〉〈自我〉の意味に用いられ、さらに〈万物に内在する霊妙な力〉〈宇宙の根本原理〉を意味するに至ったと、一般に考えられている。インドにおいては、すでに《リグ・ベーダ》の時代から、宇宙の原因が執拗に追求され、多くの人格神や諸原理が想定された。

*2013年12月-2014年2月撮影の関連ビデオは後日公開予定
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