アルナーチャラの聖者 イダイ・カダルとアルナーチャレーシュワラ寺院

2014年7月26日

アルナーチャラの聖者といえばシュリ・ラマナ・マハルシの名前がすぐに思い浮かんでくるのだが、最近の私が特に関心を抱いているアルナーチャラと所縁の深い聖者にイダイ・カダル(Idai Kadar)という名の古代の聖者がいる。南インドの伝統で知られる十八人の偉大な聖者、マハー・シッダの一人でもある彼に関する伝承には聖地ティルヴァンナマライにあるアルナーチャレーシュワラ寺院内のメイン・テンプル、シヴァ寺院の本尊であるリンガ石は、イダイ・カダルのサマーディ(聖者の亡骸の納められた墓)の上に置かれたものであるといった言い伝えが残っているそうで、私が現地で聞いて確認した何人かの全員がこの伝承を知っていた。そしてもしそれが事実であると仮定するなら神アルナーチャレーシュワラ(アルナーチャラのイーシュワラ=シヴァ神)に捧げられた神聖な寺院が古代のー聖人の墓を起点に建立された可能性が考えられることから、寺院を管理している神職達などにはそういった言い伝えが存在すること自体が受け入れ難いようだ。それ故なのかどうかはわからないが、ある時アルナーチャレーシュワラ寺院の神職の一人から、この寺院のリンガ石は寺院建立時に置かれたものではなく、元々あった地中深くまで続いている自然石であるといった話を聞いたこともある。
またイダイ・カダルのようなマハー・シッダはこの世での人生の最後を迎える際に自身の肉体を消滅させてしまうことが一般的であると信じられているそうなので、言い伝えとしては知っていても実際にイダイ・カダルの墓の上にシヴァ・リンガが置かれていると信じている人はそれほど多くはないようだ。ほかにグラハム・ハンコック氏の著書『神々の世界・上巻』には、現地のインド人から聞いた話として「アルナーチャレーシュワラ寺院の自然石のシヴァ・リンガは寺院が建立される遥か以前の遠い昔から現在の場所にあったもので、また太古の聖典プラーナには最初の寺院はそのリンガ石の周囲を取り囲むようにして神々によって造られたものである」といった記述などがあることなども紹介されている。
ティルヴァンナーマライ在住の私の古くからの知人カンナン・ラクシュミの父親は生前にアルナーチャレーシュワラ寺院の神職の長(メイン・プリースト)をしていてまた博識な方でもあったそうで、彼自身はその彼の父から聞いた話などから、イダイ・カダルはアルナーチャレーシュワラ寺院のシヴァ寺院のすぐ裏手に位置するアルナギリナタール・マンダパム(別名イダイ・カダル・マンダパム)と呼ばれる場所で最終段階のエンライトメント、不死を意味するとも言われるソルバ・サマーディ(注:1)の境地に至ったと考えているようだ。また彼の父はこの場所がアルナーチャレーシュワラ寺院の建立以前からも神聖な場所として祀られていたことを語っていたらしい。そのためカンナンはアルナーチャレーシュワラ寺院がこのマンダパムのエリアを起点に建てられた可能性があるとも考えているようだ。イダイ・カダルがソルバ・サマーディに至ったとされる場所は他にアルナーチャレーシュワラ寺院内の牛舎の一角にもあり、こちらをソルバ・サマーディに至った場所であると信じている人達もいるようで、カンナンと二人でその場所を訪れたことがあるが彼自身その場所では礼拝することもなくほとんど関心がないといった様子で、逆にアルナギリナタール・マンダパムのほうでは彼がその近くを通りかかる度に必ず祭壇の前に立ち寄り礼拝を行っている。
イダイ・カダルに関するこの他の情報にティルヴァンナーマライを訪れる際に私がよく滞在しているティルシュル・ホテル(Trishul Hotel)のオーナーの親しい知人から聞いた話では、イダイ・カダルは地上での人生の最後を迎えるために現在アルナギリナタール・マンダパムと呼ばれる場所の地下へ降りていき、二度と地上に戻ってくることはなかったといった言い伝えが残されていることも聞いている。そのためこの場所はイダイ・カダルが霊的な覚醒の境地としてのサマーディ(ソルバ・サマーディ)に至った場所であると同時に、肉体を脱ぎ捨てるという意味でのサマーディに入った場所であるというふたつの言い伝えが残されているようだ。またイダイ・カダルの最後に関してはアルナーチャラ山頂でマントラを唱えながら昇天するようにして空に消えていったという説や、アディ・アンナマライ寺院のあるエリアで肉体を脱ぎ捨てるという意味でのサマーディに入ったという説なども残されているらしい。しかしながら現代インドの偉大な聖者として知られるシュリ・ラマナ・マハルシが若き日にティルヴァンナーマライを最初に訪れた際、真っ先に訪れたのがアルナーチャレーシュワラ寺院の中にあるシヴァ寺院の至聖所であったと伝えられていることや、私自身が何度も現地を訪れ実際に感じている印象では、このシヴァ寺院やそのすぐ裏手に位置しているアルナギリナタール・マンダパムのあるエリアは、聖なるかがり火の焚かれるアルナーチャラの山頂エリアと共に聖地ティルヴァンナーマライの中での霊的中枢とも呼べるような最も重要性のあるエリアなのではないかと思う。
アルナギリナタール・マンダパムに関しては、前回のティルヴァンナーマライ滞在中にマンダパムの小さな祭壇の前に座って瞑想に入った際とても不思議な経験をしている。それは瞑想中にマンダパムの祭壇のほうから直径二、三十センチほどの大きさの白い光の玉が飛んできて私のハート、胸の中心を貫通してそのまま後方にあるシヴァ寺院の至聖所のほうに飛び去って行くというビジョンを見たというもの。そしてその白い光の玉が私のハートを貫通した瞬間、自分が霊的にリフレッシュされ同時に霊性の新たな段階に入ったのだという感覚が沸き起こってきたといったものであった。

(注:1)ソルバ・サマーディ(Soruba/Swarupa Samadhi )は霊体・知性体・メンタル体・生気体・肉体のすべてのレベルにおいて神性の降臨が起こった状態でこのうち肉体レベルでの神性の降臨が最終段階にあたりこの境地に至ると輝く肉体を持つ不死の状態に至るとも言われているらしい。またクリヤー・ヨーガの伝統では五つの身体のうち霊体のレベルで神性の降臨が起こった人を聖者(Saint)と呼び、知性体のレベルで神性の降臨の起こった人を賢者(Sage)と呼び分けているそうだ。(『ババジと18人のシッダ - クリヤー・ヨーガの伝統と自己覚醒への道』ネオデルフィ刊 参照)

*2013年12月-2014年2月撮影の関連ビデオは後日公開予定
公開日 2014年7月26日 土曜日

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