エジプトから南インドへ,聖なるかがり火の山アルナーチャラ

2017年12月12日

二十年前の今日一九九七年十二月十二日は南インドの聖地ティルヴァンナーマライに滞在していた。この日は街のご神体として知られるアルナーチャラの山頂に聖なるかがり火が焚かれるカルティガイ・ディーパム祭の最終日にあたっていてかがり火の灯される日没時の前からアルナーチャラ山の周囲を巡礼し、その後聖なるかがり火の灯された山頂で瞑想に入り一夜を明かすことになった。この年一九九七年は十一月初旬からインド国内の巡礼の旅に出ていてティルヴァンナーマライは十二月一日からの三週間ほどの滞在だった。そしてこの五年前一九九二年十二月の私はエジプトに居て、たぶん私の生まれる前の予定ではその時期のエジプト滞在中に魂の光輝としてのエンライトメント、イルミネーションが起こるはずだったのかもしれないが、ルクソールのクルーズ船での滞在中に起きたちょっとした出来事がきっかけでハートが潰れそれは起こらなかった。
魂の光輝としてのイルミネーションはインドの多くの瞑想者達にとってはそれについて語る必要もなく暗黙の了解のような形で認知されていることなのだろうと思うが、これはクンダリーニ・エネルギーの覚醒とも密接につながっていると思う。そしてここで意味するクンダリーニ・エネルギーの覚醒は一時的に起こるものではなく、途絶えることがない経験を意味する。少なくとも私の場合クンダリーニの炎が燃え始めて四半世紀以上が経ち、エネルギー的なダメージを受けた時など一時的に弱まることはあるが途絶えたことはなく、またこのクンダリーニ・エネルギーは光の放射としてはすべての方向に感じられるがエネルギー自体は燃え上がる炎のように常に上(重力と反対の方向)に向かう流れとして感じられている。そして私の場合クンダリーニの炎は一九八九年秋のインド、プネーでの滞在中に最初両手の掌から始まりそれが全身に拡がっていき、それから一般的なクンダリーニの覚醒として知られる尾てい骨から背骨を通じ頭頂を突き抜けていくエネルギーの柱が徐々に確立されていった(下のチャクラから上に向かって順に確立されるという意味ではなく、背骨全体を通っているエネルギーの柱がどんどん太く強くなっていくという意味での確立)。その後この時期一九九七年十二月のアルナーチャラ山頂での深夜の瞑想中、魂の光輝としてのイルミネーションが起こった後もクンダリーニの炎は年々活性化され続けていて、十年ほど前からは胸の中央から全身のすべての方向に放射されるエネルギーがさらに活性化されはじめ、現在ではエネルギー体としての霊体の核に当たる部分が太陽の塊のように物理的にもはっきりと認識できるようになっている。そしてこのクンダリーニ・エネルギーはエネルギー・ヴォルテックスと呼ばれるような聖地やパワースポットでの滞在中には一時的により活性化された状態になり、アルナーチャラ山頂やギザの大ピラミッド内のような聖地の中でも特にエネルギーの密度が高いと感じられるエリアで長時間瞑想に入った後にはさらに活性化された状態になる。
エネルギー体としての霊体の核で起こるイルミネーションはとてもシンプルなもので、クンダリーニの炎が燃え始めたある人のエネルギー体がその後もどんどん活性化されていき、ちょうど熱し続けたお湯がある温度に達すると自然に沸騰するように、霊体の放つ光のエネルギーがある地点に達すると光の爆発と呼ばれるようなエネルギーシフトが誘発されるといった出来事で、これがエンライトメントやイルミネーションの本来の意味なのだろうと思う。アトランティス人トートが記したとされるエメラルド・タブレット(注:1)の中にもアトランティスの時代にトート自身がイルミネーションに至った時のことが“魂の光が閃光を放つようにして一気に燃え広がった”といったような表現で紹介されている。この時トートはちょうど人工衛星から地球の夜の街明かりを見るかのようにして、この惑星に住む人々の無数の魂の光を霊視していて、「ある者は輝き、ある者はネガティブに覆われほとんど光が見えなくなっている」といったことが述べられている。そしてこれは魂が光輝状に至っていく過程が実際には光を覆っているネガティブを取り除いていく(光に変換していく?)過程に過ぎないのであって、すべての魂が今現在のこの瞬間においてもイルミネーションの光を放っているということを説明してくれているようにも思う。
そして霊体の光を活性化させるために現在最も有効で且つリスクが少ないと思われるのがエネルギー・ヴォルテックスと呼ばれるような聖地やパワースポットを訪れ、可能な限りその地に留まるようにすることで、それは温室の中では他の場所よりも植物の成長が早まるといったことと同様のことだと思う。私自身の経験では聖地やパワースポットのエネルギーは特にここ数年その光を一層増大させているように感じられ、二〇一三年以降に訪れた南インドのアルナーチャラ山では山自体にエンライトメントが起こってしまったのではと思えてしまうほどの光の増大が感じられている。
ティールタと呼ばれる巡礼の聖地を訪れることの重要性について語られたOSHOの講話にはエジプトのギザのピラミッドが王の気紛れによって建造されたものではなく失われた文明のティールタであったことが語られていて、チベットのカイラス山については、カイラス山には仏教徒のシッダ(光明を得た存在としての覚者)が最低五百人は常駐しているといったことが語られている。そしてこれは肉体を持っていない覚者たちのことを語っているようなのだが、ベナレス旧市街のカーシーと呼ばれるエリアでも同様にメンバーの入れ替えはあっても必ず一定数の覚者が常駐していることが語られているのだ。(注:2)そしてアルナーチャラは太古の聖典プラーナの中で南部のカーシーであるとも語られているそうで、またラマナ・マハルシは、カイラス山はシヴァ神の住処として知られているがアルナーチャラはシヴァ神自身であるのですとも語っているので、カイラス山やカーシーと同様のことは当然アルナーチャラ山にも当てはまるのだろうと思う。それ故にたんに巡礼の聖地を訪れるだけでもそういった目に見えない覚者達からの加護を受けられることにもなっているのだろうと思う。そして私自身の個人的な印象ではインドの大地のエネルギーは霊体の光の活性化に特に有効であるように思えてしまうのだが、ドーリル博士が著書の中でイエス・キリストにイルミネーションが起こったのは彼が二十五歳の時で、それはインド滞在中のことであったと書いているが、それもたんなる偶然ではないように思えてしまうのだ。インドでの滞在中イエス・キリストにエンライトメントが起こったことはOSHOやサイババによっても語られている。またドーリル博士の著書の中では魂の光輝としてのイルミネーションが三段階に分かれていてイエス・キリストの二十五歳の時のイルミネーションは最終段階の第三イルミネーションとされている。(注:3)
私自身の経験を通じた理解では、エネルギー体としての霊体の核は肉体の部位としては胸の中央辺りに位置していて、ハート・チャクラが閉じてしまうような感情的に傷つけられるといった出来事でも簡単に霊体の核から放射される光が遮断されてしまうのだ。そのため、もし魂の光輝としてのイルミネーションが間近に迫っている人を阻止したいならば、サイキック攻撃のようなエネルギー的なダメージを与える必要もなくたんに感情的に傷つけたり恐怖心を煽ったりといったハート・チャクラが閉じてしまうような状況をつくりだすだけで十分であるとも言えるのだ。
エネルギー体としての霊体の核で起こるエンライトメント、イルミネーションの経験はインドやチベットではちょくちょく起こっていることなのだろうが、特に欧米ではほとんど未知の事項であるために現在欧米や日本で知られているエンライトメントは脳内エンライトメントとでも呼べるような肉体の脳とつながった意識レベルで起こる覚醒に関する情報ばかりが広く知れ渡っているような気がする。肉体に付随する機能に依存しているものは肉体の死と同時に失われてしまうが、エネルギー体としての霊体から発せられる光のエネルギーは肉体の有無には依存していない、それでも肉体を伴っていたほうが霊体の光をこの物理次元により反映し易くなるといったことはあるかもしれない。OSHO本の中に「クンダリーニのエネルギーは肉体ではなく第二身体に属するものであり、死んで肉体を離れた後も失われることのないエネルギーである」といったようなことが語られた一節を見かけたこともある。(注:4)他にOSHOが語ったことではないがこの物理次元での過去の転生でつくられたカルマは肉体に入っている時でないと解消することができないといったような話を聞いたこともある。
アルナーチャラ山の聖地ティルヴァンナーマライでは毎年タミル暦のカルティガイ月(西暦の十一月から十二月頃にあたる)の満月にかけての十日間(大きくは十四日間に渡って行事が行われる)に渡ってカルティガイ・ディーパム祭と呼ばれる大祭があり、最終日の日没時午後六時にはアルナーチャラの山頂にシヴァ神の降臨を象徴するとも言われる聖なるかがり火が焚かれる。そしてこのかがり火は先に街の大寺院アルナーチャレーシュワラ寺院のシヴァ寺院の前で焚かれる火を合図にして山頂で灯されるようになっていてこの行事はマハー・ディーパムと呼ばれ、この日はディーパム・デイと呼ばれていて年に一度のこの日だけは街のどこのレストランでも完全な採食メニューしか注文できない。山頂で焚かれる火はその後ディーパム祭が終わった後も一週間程の間は毎日午後六時になると再び点火されている。そして山頂に最初にかがり火の灯されるディーパム・デイは、私自身の以前の経験では月が完全に満ちる満月の前の晩かそれよりもう一晩早い満月の二日前頃に当たっていることが多く、この日は毎月毎の満月の時期にあるギリバラム・デイと呼ばれる多くの巡礼者がアルナーチャラ山の周囲を巡回するギリバラム(ギリプラダクシナ)を行う日とも重なっていて、大祭の時期のギリバラム・デイは一年で最も多くの巡礼者を見かける日でもある。二十年前の一九九七年当時でもディーパム・デイの日にギリバラムを行っている巡礼者の数はギリバラム・ロードと呼ばれる巡礼路が人で埋め尽くされてしまうほどの数であったけれども、その数はその後も年々増加し続けているような印象があって、現在ではディーパム祭の時期にティルヴァンナーマライで宿を確保することはほとんど不可能になっていると思う。またもし急なキャンセルなどで泊まれるような場合であってもたいがいは通常の宿代の十倍二十倍といったようなびっくりするような割高な料金になってしまっている場合がほとんどなので、山頂にかがり火の焚かれる時期に合わせてアルナーチャラを訪れる場合にはディーパム・デイの二三日後辺りからをねらってティルヴァンナーマライに宿をとるという方法が一番無難で、どうしても最初の点火日、ディーパム祭最終日のマハー・ディーパムに合わせてアルナーチャラを訪れたい場合には長期滞在で事前にレンタルフラット(貸し部屋)を確保してしまうか、ラマナアシュラムのような個室に近い形で宿泊できるアシュラムでは空室がない場合がほとんどなので、寝袋などを持参の上で巡礼者が大人数でまとまって宿泊できるようなアシュラムを探すといった方法ぐらいしか思いつかない。(私自身はアルナーチャラ山の登山道の途中にある貯水池ムライパル・ティルタムのすぐ上にあるラーマ・アンナマライ・スワミのアシュラムに寄付を置いてマットと寝袋持参で泊めてもらったことが何度かある。) 一九九七年のこの時期は日没前にラマナアシュラムに近いエリアに日割りで借りていたレンタルフラットからギリバラムを始めていて、街の大寺院アルナーチャレーシュワラ寺院とは山を挟んで反対側に位置するアディ・アンナーマライ寺院に近い巡礼路の途中で山頂に灯されるかがり火を拝む形になった。そしてその後も巡礼路を歩き続けてアルナーチャレーシュワラ寺院まで歩いた後、寺院裏手にある山頂に続く登山道に入った。
一九九七年十一月初旬から十二月末までのこの時期のインド旅行では最初に現在コルカタと呼ばれるカルカッタからインドに入国し、カルカッタではラーマクリシュナゆかりのドッキネッショル寺院を訪れ、その後パトナまで国内線の飛行機で移動し、仏陀ゆかりの地ラージキルとブッダガヤも訪れた。一般に日本人がインドの聖地と聞いてすぐ思い浮かぶのがブッダガヤである場合が多いけれども、私自身の個人的な印象として仏陀自身のエネルギーが強く感じられ、また仏陀の意識と何らかの形で接触できるのではと感じられるのはラージキルの方で、ブッダガヤの場合彼にエンライトメントの光の爆発が起こった際に放たれた光の印象であろうと思われる閃光のようなものとして感じとれるエネルギーや、その後長い歳月に渡って巡礼者達が絶えず訪れることでできた磁場のようなものが現在でも菩提樹のある仏塔周辺で感じることができるけれども、ラージキルのようなエネルギー・ヴォルテックスと呼ばれるような聖地ではないと思う。ラージキルでは晩年の仏陀が説法をしていたとされる霊鷲山の山頂付近の地面や岩盤には生前の仏陀自身から放射されていた光明のエネルギーが今現在でも染み込んでいるように感じられ、このエリアの大地のエネルギー・ヴォルテックスとしてのエネルギー的な中心も霊鷲山周辺なのだろうと思う。
また他に当時はまだ情報がなく訪れることができなかったがブッダガヤからそれほど遠くないエリアにあるサンヴェド・シカール(サンメッド・シカール)と呼ばれるジャイナ教の巡礼地があってここは再び北インド巡礼の機会があれば必ず訪れてみたいと思っている。OSHO本(注:2)によればティールタンカラと呼ばれるジャイナ教の聖者の二十四人のうち二十二人がサンヴェド・シカールの同じ山の山頂で意識的に肉体を離れている(マハーサマーディ)そうで、聖者が肉体を離れる際に光のエネルギーが放たれることについてはOSHOによっても語られているが、幽体離脱などでなく完全に肉体とのつながりを断つ際には存命中のエンライトメントが起こった際に放たれる以上の光のエネルギーが放出されている可能性を私自身は感じていて、アルナーチャラとゆかりのあるラマナ・マハルシ以来の聖者として知られていたヨギ(シュリ・ヨギ・ラムスラトクマール)が肉体を去ってそれほど日が経っていない時期に彼の亡骸の納められたサマーディ(霊廟)を訪れた際に感じられたエネルギーは、すでに彼自身の霊体が抜けてしまっている亡骸の状態であってもヨギが肉体に居た際に感じられたエネルギー以上のものであったし、OSHOの場合亡骸が荼毘に付されているにも拘わらず遺灰の納められたサマーディ(霊廟)からは彼が肉体に居たときにかなり近いエネルギーが感じられ、またOSHOが臨終を迎えた後肉体から彼自身の霊体を完全に解き放った場所であったと思われる大理石の瞑想ホールに満ちていた光の海とも言えるようなエネルギーは彼が肉体に居たときに瞑想ホールを訪れていた際に感じられたエネルギーを遥かに超えていた。それ故同じ場所で二十二人のティールタンカラが肉体を離れたとされるサンヴェド・シカールの山の頂には長い歳月を経ているとはいえ特別な何かが残っているのではと思えてしまうのだ。そしてたぶんサンヴェド・シカールと同様に南インドのパラニ(パラーニ)やアルナーチャラのような聖地でも古い時代の長い歳月の間に複数の聖者達が同じ山の頂から意識的に肉体を離れるというマハーサマーディが継承されていたのではとも思えてしまうのだ。この時期ブッダガヤで泊まったホテルの客室には西向きに窓があって、その窓の方を向いた深夜の瞑想中にはほぼ満月に近い上弦の月が夜空に輝き、それが仏陀が満月の晩光明を得たと伝えられていることと関連されてかこの夜はブッダガヤと夜空に輝く月がとてもマッチしているように感じられてしまったのだった。
ブッダガヤの後ガヤ駅から鉄道でバラナシ(ベナレス)に移動し、旧市街のガンジス川岸に近いカーシーと呼ばれるエリア(注:2)にあるヨギ・ロッジ(Yogi Lodge)に泊まった。ヨギ・ロッジは建物が寺院の塔のような形をしていてこの場所には元々何かの寺院が建っていたのではと思えてしまうような秘教的な気配も漂っていて、バラナシで最も神聖な寺院ヴィシュワナート寺院(ゴールデン・テンプル)のすぐ近くにあり、路地を歩くと回り込むため多少の距離感があるが上空から見た地図ではほとんどヨギ・ロッジの数軒北にヴィシュワナート寺院が位置していることが確認できる。現在のヴィシュワナート寺院はヒンドゥー教徒以外の出入りが禁止されているが、この寺院は本来のヴィシュワナート寺院のすぐ横に後の時代になって建てられたもので、元の寺院は破壊され現在はイスラムのモスクになっている。このモスクは古いヴィシュワナート寺院を破壊しその上に被せるようにして建てられているのでヒンドゥー建築の名残がモスク裏手に僅かに見ることができ、通常このモスクの建つエリアには手荷物検査とセキュリティチェックの後一般のツーリストでも入れるようになっている(モスクの中はイスラム教徒以外入れません)。バラナシはドーリル博士によってギザの大ピラミッドやカリフォルニアのシャスタ山などと同様地球上にいくつかあるアメンティーのホール(注:1)への入り口の一つであると述べられていて、私自身は現在モスクになっているこの古いヴィシュワナート寺院周辺が聖地バラナシの中で最も神聖なエリアなのではと感じているのだ。この時期のインド旅行では二回の満月を北インドのバラナシと南インドのアルナーチャラで迎られるようにと考え旅に出てきていて、その予定通りこの旅最初の満月をバラナシで迎えることになった。続く...このページはまだ未完了につき加筆修正されます

南インド、ティルヴァンナーマライ 聖なるかがり火の山アルナーチャラ 撮影1997.4
南インド、ティルヴァンナーマライ 聖なるかがり火の山アルナーチャラ 撮影1997.4
公開日 2017年12月12日 火曜日 - 2020年5月1日 金曜日[更新]

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