初めてのエジプト旅行,ギザのメナハウス・ホテル到着の日

2017年11月29日

初めてのエジプト旅行は当初予定のエジプト航空から英国航空に変更され、大英博物館などにも関心のあった私はせっかくの機会だと思いロンドンでのストップオーバーを思いつき、手数料を払ってツアー会社に帰国便を変更してもらった。出発当日の一九九二年十一月二十八日は午前十一時成田発の英国航空BA006便とロンドン発BA155便を乗り継ぎ現地時間で同日夜の午後十一時過ぎにエジプトのカイロ国際空港に到着した。空港到着後は入国審査でパスポートにエジプト入国のスタンプを押してもらい、その後搭乗便の預け荷物を受け取って空港の出口へ。この当時の入国スタンプの形はとてもユニークでピラミッドを象徴するかのような美しい縦長の三角形だった。入国審査の時点では日付が変わっていて三角のスタンプの一番下にはアラビア文字で92/11/29の日付が入っていた。この入国スタンプの形はとても印象が良かったのでいつの日か再びエジプト入国のスタンプが三角形に復活する日が訪れることを期待している。その後この時期私が参加した日本人ツアーグループのメンバー三〇名は空港出口で待っていた大きなツアーバスに乗り込み、この夜から一週間ほど滞在するギザのメナハウス・ホテルに向かった。空港からギザのメナハウス・ホテルに向かうツアーバスの中では今回のチャネリング・コンファレンスを企画したアメリカのツアー会社、パワープレイス・ツアーの当時の社長婦人から挨拶があった。この時期メナハウス・ホテルで開催されるチャネリング・コンファレンスには私が参加していた三〇名の日本人ツアーグループの他にアメリカ、カナダ、オーストラリア、ペルー、デンマークなど世界十カ国から二四〇名近くが参加していたそうで、「私達は世界中の様々な地域の聖地やパワースポットを訪れるツアーを企画していますが、今回のコンファレンスの期間中に滞在するギザのピラミッドはその中でも最もパワフルで最も特別なパワースポットであると感じています」と彼女は語っていた。
ツアーバスは深夜のカイロの街を走り抜けナイル川の大きな橋を渡り、道の中央に植木のある広い直線道のピラミッド通りに出る。その後カイロ・アレックス・デザート通りとの交差点を過ぎると通りの右側にメナハウス・オベロイのパレスの塔が見えてきた。バスは右折してホテルのゲートをくぐり豪華なシャンデリアの照明のあるパレスのロビーの前で止まった。一八八六年開業の由緒あるこのホテルはクフ王の大ピラミッドのすぐ目の前に位置する五つ星の高級ホテルで、レセプションのあるパレスの建物は一八六九年に建てられたイスラム王朝時代の宮殿を改築して造られているそうだ。生まれて初めてのエジプト旅行での最初の宿泊先でもあったこのホテルは一九九二年当時にはまだオベロイ・グループが運営していてメナハウス・オベロイと呼ばれていた。その後二〇一二年末にオベロイ・グループが離れた後、最近になってマリオット・ホテルの運営に移行され名称もマリオット・メナハウスになっている。メナハウスは私のその後の三十回以上のエジプト旅行でも幾度となく滞在していて、このホテルの中庭のメナ・ガーデンの奥に位置するガーデン側のピラミッドビューの客室や中庭にあるレストランなどから眺めることのできるパレスの塔とその背後に見える大ピラミッドの景観は特に美しく、それでも一九九〇年代頃はまだホテルの予約もそれほど混んではいなかった様子で日本の旅行会社の企画するエジプトツアーでも『全室ピラミッドビュー指定でメナハウス・ホテルに連泊』といった広告も見かけていたが、西暦二〇〇〇年が過ぎる頃までには客層もそれ以前にはあまり見かけなかった中国、インド、ロシア辺りからの観光客も見かけるようになりホテルの客室の確保がかなり困難になっていった様子で、一時はピラミッドビュー指定どころかメナハウス・ホテルに泊まることが記載されたエジプトツアーの広告をほとんど見かけなくなってしまった時期もあったような気もする。その後二〇一一年のエジプト国内の大きな政変が起き観光客が激減した後、ここ数年はピラミッドビュー指定でメナハウス・ホテルに連泊するようなツアー広告を再び目にするようにもなってきている。しかしながら最近はSNSでの見栄えの良さからなのか著名人が滞在する機会が以前より多くなってきているような印象もあってこのホテルの魅力が全世界的に知れ渡ってしまいつつある気配も漂っているので特に団体ツアーなどでは二〇一七年の現時点でもピラミッドビュー指定での客室の確保はそれなりに難しいのではないかと思う。
景観は美しいけれどもガーデン側の客室の入った建物は新館のような形で最近の時代に建てられていてパレスの客室の入った建物のような格式の高い風情は特に感じられない。しかしながらガーデン側の建物はこの十年ほどの間に新たな改装工事が行われ客室も一九九二年に私が初めて宿泊した頃よりも新しいデザインになっていて、この時から部屋の鍵もドアに差し込んで開けるタイプのものではなくカードをかざすタイプの鍵になっている。メナハウス・ホテルのパレス側に位置するピラミッドビューの客室からはほとんどすぐ目の前に大ピラミッドを眺めることができるけれども、パレスのピラミッドビューの客室はこの時期ポール・ソロモンが滞在していたプレディデンシャル・スイートの七〇六号室のような特別なスイートルームを除けばガーデン側の客室のようにゆったりできるようなバルコニーはなく、あってもすぐ手前が日中人通りの多い外のピラミッド通りに面してしまっているので、バルコニーでリラックスしてお茶を飲んだりといった雰囲気ではない。またバルコニーからの景観も一番手前に僅かに見えるホテルの芝生や木々のすぐ向こうにアスファルトのピラミッド通りが見え、その背後に大ピラミッドが聳えて見えるといったわりとシンプルな見え方で、ガーデン側の客室からの眺めのような絵はがき的な美しさは期待できないし、値段も遥かに割高になっている。通称モンゴメリー・スイートと呼ばれるパレスのプレディデンシャル・スイート七〇六号室はプロゴルファーのジャンボ尾崎さんなども泊まったことがあるそうで、ハリウッド女優のシャーリー・マクレーンさんが泊まっていたと伝え聞くメナハウスのスイートルームというのもたぶん七〇六号室のことだろうと思う。けれどもバルコニーや客室の窓が人通りのある外のピラミッド通りに面しているのはプレディデンシャル・スイートでも同様で、ここ数年のエジプトの治安状況では部屋代が気にならないような経済的に裕福な人であっても安全面を考慮して中庭の奥に位置するガーデン側のスイートルームに滞在していくケースもあるかもしれない。
メナハウスに到着したツアーバスを降りホテルのフロントのあるパレスのメイン・ロビーを入っていくと中は宮殿のような豪華で格式のある造りの建物だった。それからロビー奥の赤い絨毯の階段を上った右側にあるマムルーク・バーに行き、ウェルカム・ドリンクをもらう。ここで添乗員から明日からのチャネリング・コンファレンスのスケジュールについての簡単な説明があり、その後客室の鍵が配られた。日本人グループの中で一人部屋を希望していたのは私だけで部屋番号は三一六号室だった。
パレスのメイン・ロビーを出て、大きなナツメヤシの木が並ぶ広い中庭メナ・ガーデンを歩いて今回の日本人ツアーグループのメンバーが宿泊するガーデン側の客室へ。私の泊まる客室はこの新館にあたる建物の三階、ピラミッドビューの部屋だった。中に入ってすぐに部屋の奥の白い扉を開け、中庭の見えるバルコニーへ出てみた。外にはライトアップされたホテルのパレスの塔が真っ暗な夜空に浮かび上がって見えていたが、ピラミッドが見えるであろうその向こう側には薄い霧がかかり夜の闇に包まれていた。客室のデザインはオリエンタルな雰囲気のアンティークな造りで、すぐに気に入ってしまった。ポーターからの荷物が届いてから部屋の鍵を閉め、すぐにシャワーを浴びる。それから服を着替えゆったりとしたベッドに寝転び、すぐに深い眠りについた。
次に目が覚めると窓際の白いカーテンの向こうはもう明るくなっていた。カーテンを開けると窓ガラス越しに朝日を浴びた大ピラミッドが見え、急いでバルコニーへ出て実物のピラミッドを見る。生まれて初めて見るギザの大ピラミッドと大気に満ちたエネルギーは予想を遥かに超えあまりにも圧倒的だった。そして自身の魂がこの地を訪れたことに深く喜んでいることが全身からひしひしと伝わってきた。しかしながら生まれて初めて見る大ピラミッドの感動とは裏腹に、エジプトに着いて以来胸の中心に理由のない痛みと重苦しさを感じ始めていた。そしてこの胸の痛みはギザのピラミッドでの滞在中、チャネリング・コンファレンスの最終日の夜に自身の前世の記憶が甦ってくるときまで続くことになる。
朝食は深夜最初に訪れたパレスの二階にあるマムルーク・バーの隣に位置するハーンハリーリ・レストラン、このレストランの窓からは中庭の向こうに朝日を浴びた大ピラミッドを眺めることが出来た。日本人ツアーメンバー数人の座った席で彼らといっしょに朝食をとる。私の正面には広島からきた以前にテレビ・アナウンサーをしていたという綺麗な女性が座った。彼女に話しかけられ「あなたはテレビに出ているどこかの有名人のように見えますね」と言われてしまった。
朝食の後はパレスの奥にある広間のアル・ハデビでミーティング。買い物に関する案内では、エジプトでは商品に値段が付けてないことがほとんどで日本人はお金の塊に見られているから値段の交渉には特に気をつけなさいと注意される。また同じ時期にエジプトを訪れていたエジプト学の研究者ジョン・アンソニー・ウエストさんのレクチャーを大スフィンクスの前で聞けることにもなった。彼は最近アメリカのメジャーなテレビ番組にも出演していて、現在全米で特に注目を浴びている人物の一人なのだそうだ。食事に関しては明日の朝食からはパレス奥にあるルバイヤート・レストランでとるようにという案内がある。
ミーティングが終わり一度客室に戻った後日本人グループ全員でツアーバスに乗りスフィンクスへ向かった。大スフィンクスと三大ピラミッドの一望できるフィンクス・スクエアで全員バスを降りツアー会社の社長と共に大スフィンクスの方へ歩いていく。すると向こうから先ほど説明のあった帽子を被り白い髭のあるジョン・アンソニー・ウエストさんがやってきた。そして巨大なスフィンクスを目の前にして彼の講義が始まる。彼は作家であると同時にエジプト学の研究者なのだそうで、ギザの大スフィンクスが現在の定説よりも遥か以前に造られたものであることを、水による侵食の痕やカフラー王とスフィンクスの顔のコンピュータを使った照合の不合理さなどを指摘したりしながら解説してくれた。「……そして、われわれ現代人はせいぜい二色の縞模様になった歯磨き粉を発明して、そして自分達がこの世界で最も優れた文明人であると勘違いしている愚か者なのだ。」と皮肉っていた。人智を超えた佇まいを持つ巨大なスフィンクスやピラミッドを目の前にした彼のその言葉は強いリアリティーをもって私のハートに響いてくるようだった。
大スフィンクスでのレクチャーを聞いた後、スフィンクスの目の前にあるパフューム店トゥリー・オブ・ライフで買い物。この店の主人のゴーダ・ファエドさんはこの日朝メナハウス・ホテルでのミーティングの際ツアー会社の社長が「私が信用できる唯一のエジプト人である」とコメントしていた人物。またゴーダ・ファエドさんの弟はエジプトでナンバーワンのツアーガイドだったそうで、海外からの国賓や著名人のガイドを仕事にしていたらしい。そんなこともあって店にはハリウッド女優シャーリー・マクレーンと店の主人の並んだ写真なども飾られている。この写真は一九八二年に彼女がこの店に立ち寄った際に撮影されたものらしい。そしてゴーダさんはシャーリー・マクレーンが大ピラミッド内で一夜を明かした際のガイドも務めているそうだ。
昼食はツアーバスで現地エジプト料理のレストランへ。チキンカバブ、シシカバブなど後に何度もエジプトを訪れてから大好物になるものもあったが、この時は菜食にこだわっていてアイーシやサラダ類しか食べなかった。
昼食の後はツアーバスでのショッピングツアー、絨毯や着物を売っている店で私はエジプトの民族衣装、白いガラベーヤを買った。滞在先のメナハウス・ホテルに戻ってからも知り合ったばかりの日本人メンバー数人とホテル内の土産物店に入る。ここでは金のアンクを買った。その商品の裏側にはスタンプのようなヘコミがあり店のオーナーからこれが十八金であることの証拠だという説明をされる。しかしながら数年後にはしっかり金メッキが剥げてきている。五つ星の高級ホテルの中にある土産物店だからといって安心はできないようだ。というより高級ホテルでは店構えのための賃料も高くなるため、返ってこういったことが起きやすいのだという話を聞いたこともある。夕食は朝食と同様パレスのハーンハリーリ・レストランでとった。

ポール・ソロモンが滞在していたメナハウスのモンゴメリースイート706号室にて 撮影1992.12.3
ポール・ソロモンが滞在していたメナハウスのモンゴメリースイート706号室にて 撮影1992.12.3
公開日 2017年11月29日 水曜日- 2018年11月29日 木曜日[更新]

画家の瞑想録 コラム・エッセイ