バリ島の聖域、ブサキ寺院とアグン山

2010年6月21日

つい昨日、一九九〇年代からの暦本を見直していたら十三年前の今日一九九七年六月二十一日のところにバリ島のアグン山に登った日であるというメモが書き込まれていた。この日は満月と夏至(南半球に位置するバリ島では冬至に当たる)が重なっていたので、きっと当時の私はこの日を意識的に選んでアグン山登頂を目指したのだと思う。一般にアグン山登頂のベースになっているのがブサキ(ベサキ)と呼ばれるエリアでここにはバリヒンドゥーの総本山ブサキ寺院がある。アグン山は火の神の宿る山を意味する言葉なのだそうで、バリ島の人々とってこの山は最も神聖視されている信仰の対象であって、この島ではすべての人がアグン山の方向に枕を向けて眠る風習があるといった話を聞いたこともある。
二度目のバリ島訪問であった一九九七年にこの地を訪れた際には寺院の参道沿いにあるロスメン風の個人の宿に宿泊していた。そして偶然にも二年前の二〇〇八年の同じ日、六月二十一日の夏至の日にも私はブサキに滞在している。日本のガイドブックにはブサキには宿泊施設がないように書かれていたりもするけれど、実際にはホームステイ形式の宿が僅かにある。神聖なエリアなので看板を掲げたりすることができないだけだそうだ。十三年前も二年前も私は寺院の参道沿いにある個人の宿スリマダ・ハウス(注:1)に泊まっていた。ブサキの宿はアグン山を目指す登山者たちの他に、ブサキ寺院を訪れる地元の参拝者たちにも利用されている。
私がバリ島に興味を持ち始めたきっかけは、バリ島がこの惑星上で唯一エネルギーの完全な土地であるといった話をエジプト滞在中にアメリカ人女性の占星家の方から聞いてからのこと。生まれて初めてバリ島を訪れたのは一九九三年六月。当時不思議だったのは行きの成田からバリ島のデンパサールまでの飛行機がその前年のエジプトツアーで知り合っていたハワイ在住のヒーラーの女性の方と偶然にも同じ航空会社の同日同便だったこと。ビーチエリアから内陸部のウブドまでの最初の数日はいっしょに行動し、前年のエジプトでの滞在中と同様に彼女のヒーリング瞑想を受けたりしていた。彼女のヒーリングにはエネルギー的に特別な効力のようなものが感じられるのだが、実際彼女のヒーリングを受けた直後に怪我の傷口が消えてしまったという超常的な経験をしている人もいるそうだ。それでも当時の彼女は経済的にもとても裕福な環境にあったそうで、人からお金をもらってヒーリングを行うことはなかった。
ハワイのヒーラーの女性と別れた後、私は弟と二人でブサキに向かった。当時の宿泊先はスリマダ・ハウスと同じ並びにあって現在はなくなっているブサキ寺院参道沿いの個人の宿。生まれて初めてのアグン山登頂は、想像以上にきついものだった。現地のガイドを連れて弟といっしょに深夜の零時過ぎに宿を出発してブサキ寺院の裏手に続いていく登山道を登って行った。途中休憩を入れながら登っていき、山頂が近づいてくる頃には太陽はもう空のかなり高いところで輝いていた。山頂到着後の私はしばらくの間一人で瞑想に入った、その間弟とガイドは頂上からの雄大な景色を眺めていた。
その後満月の晩にはブサキ寺院を参拝した。一九九三年当時のブサキ寺院は最近言われているような寺院の客引きのチップの取り方が悪質でどうのこうのといった話題以前に、まだヒンドゥー教徒以外の一般の観光客が寺院内に足を踏み入れることを受け入れない空気が強かったという印象がある。それでいっしょに付いていったガイドにはもし寺院の入口で誰かに止められたら自分はヒンドゥー教徒であると答えるようにとも言われていた。寺院に入る前には現地の布の腰巻と頭には小さな帽子のようなものを被り、寺院への捧げ物も用意しておいた。ブサキ寺院は複数の寺院で構成され、その主要寺院の石段や礎石などは二〇〇〇年以上前に造られていることが確認されているそうで、仏教僧の瞑想の場として使われていた時期もあったようだ。そのブサキ寺院の中でも最も神聖な寺院とされるシヴァ寺院、プラタナン・アグン寺院を参拝した後、私はこの寺院に一人残って境内で翌朝の明け方まで瞑想に入った。そしてこの時は明け方まで境内を訪れる参拝者が途切れることはなかった。後年、バリ島を訪れた際にも満月の晩にはいつもこの寺院の境内で瞑想に入っている。
ブサキ寺院やその周辺では特別なお祭りの時期になるとどこからともなくガムランの演奏が聞こえてくる。遠くから聞こえてくるガムランの響きにはなんとも言えない独特の風情があり自分が魂の故郷に戻ってきてしまったかのような感覚が起きる瞬間がある。二年前、二〇〇八年六月の夏至の時期は父親といっしょにバリ島を訪れていた。彼といっしょにブサキを訪れた時にも宿泊先だったスリマダ・ハウスのすぐ隣の寺院やブサキ寺院の方からガムランの演奏が聞こえていた。それを聞いていた私の父親も感銘を受けた様子で、日本に戻ってからもう一度聞きたいから録音しておいてくれと私に頼んだ。彼はブサキではなぜかずっと現地のヒンドゥー教徒のような格好をしていた。最初は、たんにブサキ寺院に参拝する際に必要だったため便宜上宿の主人から借りて着ただけのものだったのだが、なぜか父はブサキに滞在中ずっとそのままの格好で過ごした。そしてブサキ滞在も彼の意志でバリ島を発つ最後の日の朝まで延長することになってしまった。それは普段から無信心とも見える生き方を貫いてきた彼には殆ど有り得ないような出来事だった。それで私は父親にこう聞いた。「もし前世とかがあるのなら、お父さんは何度もここで生きていた時期があってブサキ寺院では神職の仕事とかをしていたのかもしれないね」と。それに対し彼は、「そういうことだったみたいだなあ」と昔を懐かしむような口調で呟いたのだった。それは彼がこの世を去るほんの一ヶ月ほど前の出来事でした。

(注:1):スリマダ・ハウス(Srimadha House)、ブサキ寺院の参道沿いにある個人の宿でロスメンと同じくらいの料金で宿泊できます。他に参道入り口の駐車場近くにもロスメン風の宿泊施設があります。

YouTube - バリ島, ブサキ寺院とアグン山 撮影2008年6月21日土曜日
公開日 2010年6月21日 月曜日

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