2021年1月19日
一週間ほど前から、宇宙存在達からのお知らせを受け取ることが多くなっている。以前なら特にエジプトへ出かける前などに、エササニのバシャールがメッセージを送ってくることがよくあり、去年三月にコロナの影響でカイロ国際空港が閉鎖される直前の三月半ばにエジプトを訪れた際には、日本を発つ直前にバシャールからメッセージを受け取っていて、その時期のエジプト旅行では、大ピラミッドの王の間で偶然居合わせたシャーマンのような女性にバシャールがウォークインしてくるという出来事も起こっていた。[全文表示]
公開日 2021年1月19日 火曜日
2018年11月11日
最近どうしてもインド料理を食べたいという衝動のような感覚が沸き起こってしまい、ちょうど入ったインド料理レストランで座った席の正面の壁にシヴァ神の肖像画が飾られていた。そのシヴァ神の描き方が以前にアルナーチャラ山の聖地ティルヴァンナーマライのラマナ・アシュラムの前にある土産物屋で買ったシヴァ神の絵葉書の絵とよく似ていたので、なぜかそのときから南インドを思い出すことが多くなってしまっている。[全文表示]
公開日 2018年11月11日 日曜日
2018年7月27日
一九八〇年代後半に読んだ当時まだバグワン・シュリ・ラジニーシと呼ばれていた頃のOSHO本の中にはインド暦のバードラ月(西暦八月中旬~九月中旬頃にあたる)のグルの日にあたる木曜の満月の晩にOSHOの弟子の一人スワミ・ゴヴィンド・シッダールタが深夜の瞑想中、仏陀のアストラル体(第三身体)とOSHOが融合するビジョンを見た出来事が書かれていて、彼によるとそれが起こった時間帯は明け方の五時頃だったそうだ。[全文表示]
公開日 2018年7月27日 金曜日
2018年3月6日
私が初めてチベットのラサを訪れたのは一九九三年三月のことで、その当時個人旅行でチベットを訪れることができなかったこともあってこの旅行では主に秘境などを訪れるツアーを企画していた東京に本社のある旅行会社のチベットツアーに参加していた。日本を出発したのはこの年二月の最終日、二月二十八日に成田空港からの出発後上海、成都で二度飛行機を乗り継いでチベットを訪れていて、ちょうど二十五年前の今日はチベットの首都ラサの街にいた。[全文表示]
公開日 2017年3月6日 火曜日
2017年12月12日
二十年前の今日一九九七年十二月十二日は南インドの聖地ティルヴァンナーマライに滞在していた。この日は街のご神体として知られるアルナーチャラの山頂に聖なるかがり火が焚かれるカルティガイ・ディーパム祭の最終日にあたっていてかがり火の灯される日没時の前からアルナーチャラ山の周囲を巡礼し、その後聖なるかがり火の灯された山頂で瞑想に入り一夜を明かすことになった。この年一九九七年は十一月初旬からインド国内の聖地巡礼の旅に出ていてティルヴァンナーマライは十二月一日からの三週間ほどの滞在だった。[全文表示]
公開日 2017年12月12日 火曜日
2017年12月2日
二十五年前の今日一九九二年十二月二日は私が初めて大ピラミッドの王の間を訪れた日。そしてこの日は通常の観光客の訪れる時間帯が過ぎた後アメリカ人チャネラーのケビン・ライアーソンと私の参加していた日本人ツアーグループだけでの貸し切り入場でもあった。またこの日の日中にはチャネリング・コンファレンスの予定とは別に同じ時期にギザのメナハウス・ホテルに滞在していたポール・ソロモンからの申し出で彼のレクチャーを受けられることにもなった。[全文表示]
公開日 2017年12月2日 土曜日
2017年11月30日
初めてのエジプト旅行で最初に訪れたギザのメナハウス・ホテルでの滞在二日目、一九九二年十一月三十日から五日間の予定でチャネリング・コンファランスが開催された。講師にはシャーリー・マクレーンの著作や映画にも登場し、古代エジプトの賢者アトゥン・レイなどをチャネリングするケビン・ライアーソンやエササニのバシャールのチャネリングで知られるダリル・アンカ、リサ・ロイヤル、プレアディアンのチャネリングで知られるバーバラ・マーシニアック、バーバラ・ハンド・クロウなど著名なチャネラーも多く参加していた。[全文表示]
公開日 2017年11月30日 木曜日
2017年3月20日
一九九八年夏に起きたちょっとした出来事をきっかけにギザ台地の地下に隠されたとされるアトランティスの記録の間(記録のホール)に強い関心を持ち始めて以来、大スフィンクス正面から日が昇る年二回の春分、秋分(昼夜平分時)は私にとってエジプト、ギザの大スフィンクスを思い起こす日になりつつある。イスラム教徒が世界中のどこに居ても聖地メッカの方向を向き祈りを捧げるように、最近では昼夜平分時が訪れる時間に合わせギザの大スフィンクスの方を向き(日本のいる場合には西向き)瞑想の祈りを捧げることが多くなった。[全文表示]
公開日 2017年3月20日 月曜日
2016年8月16日
今日八月十六日は国際経済学者でまたシュリ・ラマナ・マハルシの著作の翻訳者としても知られていた柳田侃さんの命日。柳田さんは東大法学部卒、経済学博士で甲南大の教授でもあったそうだが、長男を若くして失くし落ち込んでいた時期にインド経済が専門の知人のすすめでその知人と共にインドを訪れて以来、インドに強い関心を持つようになったのだそうで、名誉教授になってからの晩年の多くの時間を南インドの聖地ティルヴァンナーマライのアルナーチャラ山の麓で過ごしていたようだ。[全文表示]
公開日 2016年8月16日 火曜日
2016年6月4日
二〇一五年の年末から今年一月にかけての一か月ほどのスケッチ旅行を兼ねた瞑想の旅ではインドの聖地の中でも北インドのバラナシと共に他の聖地とは別格とも言えるような印象のあるアルナーチャラ山の聖地ティルヴァンナーマライを含むいくつかの南インドの聖地を訪れ、その後国内線でピラミッド瞑想ホールのあるプネーのOSHOメディテーションリゾートを約十年ぶり訪れた後チェンナイ国際空港からエジプト、カイロに移動しギザのピラミッドを訪れてきた。[全文表示]
公開日 2016年6月4日 土曜日
2014年12月11日
今日十二月十一日は白隠慧鶴禅師が沼津市、原の松蔭寺で肉体を去った日、遷化された日だそうだ。私が松蔭寺を初めて訪れたのは二〇〇六年秋のことで当時の私は四十二歳、四十二歳は白隠禅師が松蔭寺の境内で最終的な大悟に至った歳でもあるらしい。私はこの年の年末のインド、ネパールへのスケッチ旅行を兼ねた瞑想の旅に出かける前に旅の無事の祈願も兼ねて、今は亡き父と共に彼の車で立ち寄ったのが最初だった。今日十二月十一日はインドの神秘家OSHOの誕生日でもあり、ちょうど二十五年前の今日私は現在はプネーと呼ばれているインドのプーナに滞在していて日没後の時間帯には肉体を去る直前の時期であったOSHOとの瞑想の時間を過ごしていた。[全文表示]
公開日 2014年12月11日 木曜日
2014年10月31日
メキシコでは十一月一日は死者の日と呼ばれその前夜の十月三十一日の夜から先祖の霊達が現世のこの世界に戻ってくるとも言われているそうだ。そして十年前の今日、二〇〇四年十月三十一日はフロリダからそう遠くないバハマのビミニ島にいた。ここ数年、特に二〇一二年の冬至の時期にエジプトのギザを訪れてからは私自身のエネルギー体が時には肉体の存在感を圧倒してしまうほどまでに活性化されてきてしまっているので、聖地やパワースポットのエネルギーも以前よりも遥かに感知し易くなってきている。 [全文表示]
公開日 2014年10月31日 金曜日
2014年7月26日
アルナーチャラの聖者といえばシュリ・ラマナ・マハルシの名前がすぐに思い浮かんでくるのだが、最近の私が特に関心を抱いているアルナーチャラと所縁の深い聖者にイダイ・カダル(Idai Kadar)という名の古代の聖者がいる。南インドの伝統で知られる十八人の偉大な聖者、マハー・シッダ達の一人でもある彼に関する言い伝えには聖地ティルヴァンナマライにあるアルナーチャレーシュワラ寺院内のメイン・テンプル、シヴァ寺院の本尊であるリンガ石は、イダイ・カダルのサマーディ(聖者の亡骸の納められた墓)の上に置かれたものであるといったものが残っているそうで、私が現地で聞いて確認した何人かの全員がこの伝承を知っていた。 [全文表示]
公開日 2014年7月26日 土曜日
2013年12月2日
二十一年前の今日一九九二年十二月二日は、私が初めてエジプト、ギザにあるクフ王の大ピラミッド(グレート・ピラミッド)を訪れた日。この日クフ王の大ピラミッドは私の参加していた日本人ツアーグループのために貸し切りになっていて、中に入ったのは観光客の入れる時間が終わる午後四時半を過ぎた後、日没後の空には上弦の月が輝き始めていた。当時私の参加したツアーは通常の観光ツアーではなく大ピラミッド内ではアメリカの著名なサイキック・チャネラー、ケビン・ライヤーソン氏のチャネリングによる誘導瞑想と再生復活の儀式が行われた。[全文表示]
公開日 2013年12月2日 月曜日
2010年6月21日
つい昨日、一九九〇年代からの暦本を見直していたら十三年前の今日一九九七年六月二十一日のところにバリ島のアグン山に登った日であるというメモが書き込まれていた。この日は満月と夏至(南半球に位置するバリ島では冬至に当たる)が重なっていたので、きっと当時の私はこの日を意識的に選んでアグン山登頂を目指したのだと思う。一般にアグン山登頂のベースになっているのがブサキ(ベサキ)と呼ばれるエリアでここにはバリヒンドゥーの総本山ブサキ寺院がある。[全文表示]
公開日 2010年6月21日 土曜日