宇宙存在のチャネリング、地球の次元シフトとゼータ・レチクル人

2021年1月19日

一週間ほど前から、宇宙存在達からのお知らせを受け取ることが多くなっている。以前なら特にエジプトへ出かける前などに、エササニのバシャールがメッセージを送ってくることがよくあり、去年三月にコロナの影響でカイロ国際空港が閉鎖される直前の三月半ばにエジプトを訪れた際には、日本を発つ直前にバシャールからメッセージを受け取っていて、その時期のエジプト旅行では、大ピラミッドの王の間で偶然居合わせたシャーマンのような女性にバシャールがウォークインしてくるという出来事も起こっていた。[全文表示]

公開日 2021年1月19日 火曜日

アルナーチャラのムルガン寺院とマハー・アヴァター・ババジ

2018年11月11日

最近どうしてもインド料理を食べたいという衝動のような感覚が沸き起こってしまい、ちょうど入ったインド料理レストランで座った席の正面の壁にシヴァ神の肖像画が飾られていた。そのシヴァ神の描き方が以前にアルナーチャラ山の聖地ティルヴァンナーマライのラマナ・アシュラムの前にある土産物屋で買ったシヴァ神の絵葉書の絵とよく似ていたので、なぜかそのときから南インドを思い出すことが多くなってしまっている。[全文表示]

公開日 2018年11月11日 日曜日

柳田侃さんの想い出,アートマンと真我の一瞥、悟りの一瞥

2018年8月16日

今日八月十六日は晩年の多くの時間をアルナーチャラの地で過ごしていた国際経済学者、柳田侃さんの命日。今回は去年書きかけのままになっていたアートマンに関する下書き文を含め二年ぶりにティルヴァンナーマライで柳田さんと会っていた頃の思い出話も綴ってみたいと思う。私は生前の柳田侃さんに悟りの一瞥について尋ねたことがあってその際彼は「アルナーチャラで暮らし始めて数か月が過ぎた頃にそういった経験をしたことがある」と話していた。それは瞑想中の出来事ではなくティルヴァンナーマライの自宅の部屋でアルナーチャラ山の方に椅子を向けてただ静かに座って寛いでいた時のことだったらしい。[全文表示]

公開日 2018年8月16日 木曜日

グルの日の満月とインド,プネーのスワミ・アループ・クリシュナ

2018年7月27日

一九八〇年代後半に読んだ当時まだバグワン・シュリ・ラジニーシと呼ばれていた頃のOSHO本の中にはインド暦のバードラ月(西暦八月中旬~九月中旬頃にあたる)のグルの日にあたる木曜の満月の晩にOSHOの弟子の一人スワミ・ゴヴィンド・シッダールタが深夜の瞑想中、仏陀のアストラル体(第三身体)とOSHOが融合するビジョンを見た出来事が書かれていて、彼によるとそれが起こった時間帯は明け方の五時頃だったそうだ。[全文表示]

公開日 2018年7月27日 金曜日

マチュピチュの夢,アンドロメダ人とプレアデスの宇宙船

2018年4月28日

一九九三年は私個人にとっての聖地パワースポット巡礼ブームが始まった年であったとも言えるが、この年正月には元旦から伊勢神宮、熊野那智大社、熊野本宮大社、天河神社を続けて訪れ、二月にはチベット旅行、四月初旬に四国の石鎚山、下旬から五月初旬にかけてはアメリカ人チャネラーのリサ・ロイヤルさんを講師に招いたペルーツアーに参加していた。[続きは後ほど]

公開日 2018年4月28日 土曜日

ラサの大昭寺 聖秘市シャンバラと聖白色同胞団の二人のチェラ

2018年3月6日

私が初めてチベットのラサを訪れたのは一九九三年三月のことで、その当時個人旅行でチベットを訪れることができなかったこともあってこの旅行では主に秘境などを訪れるツアーを企画していた東京に本社のある旅行会社のチベットツアーに参加していた。日本を出発したのはこの年二月の最終日、二月二十八日に成田空港からの出発後上海、成都で二度飛行機を乗り継いでチベットを訪れていて、ちょうど二十五年前の今日はチベットの首都ラサの街にいた。[全文表示]

公開日 2017年3月6日 火曜日

エジプトから南インドへ,聖なるかがり火の山アルナーチャラ

2017年12月12日

二十年前の今日一九九七年十二月十二日は南インドの聖地ティルヴァンナーマライに滞在していた。この日は街のご神体として知られるアルナーチャラの山頂に聖なるかがり火が焚かれるカルティガイ・ディーパム祭の最終日にあたっていてかがり火の灯される日没時の前からアルナーチャラ山の周囲を巡礼し、その後聖なるかがり火の灯された山頂で瞑想に入り一夜を明かすことになった。この年一九九七年は十一月初旬からインド国内の聖地巡礼の旅に出ていてティルヴァンナーマライは十二月一日からの三週間ほどの滞在だった。[全文表示]

公開日 2017年12月12日 火曜日

初めてのエジプト旅行,月夜の大スフィンクスとクリスタルスカル

2017年12月10日

二十五年前の今日一九九二年十二月十日、この日はエジプト航空国内線の夕方の便でルクソールからカイロに移動、機内ではエジプト人搭乗員が私の持っていたETの絵に英語のメッセージを書き込んでくれた。カイロ到着後はそのまま国際空港近くのホテルにチェックイン。すぐにシャワーを浴びてしばらくはベッドに寝転び休んでいた。翌朝の便でカイロを発つ予定でエジプト最後の夜ということもあってその後私はこのツアーで親しくなったツアーメンバーの女性と二人で夜のカイロの街に出かけることになった。[全文表示]

公開日 2017年12月10日 日曜日

初めてのエジプト旅行,ルクソールでのチャネリング・セッション

2017年12月9日

今朝明け方のエジプトの夢、夢の中でギザのメナハウス・ホテル、パレスのレセプションの中に居てフロントデスクに向かって歩いている私がいた。フロントデスクの前にくると私の知っている背の高いメガネのスタッフが「ウェルカム、ホマール!」と私を呼んだ。ホマールは筆者のエジプトでのニックネームのようなもので、エジプト人は私の名前ホ・マ・レのレが発音しにくいようで少しなまってホ・マ・ー・ルになってしまうことが多いのだが、このホマールはアラビア語でロバを意味する言葉でもある。[全文表示]

公開日 2017年12月9日 土曜日

チャネリング・コンファレンス最終日,エジプトの前世を思い出す

2017年12月4日

一九九二年十二月四日、チャネリング・コンファレンス最終日は午前中にリサ・ロイヤルさんとショーン・ランドールさんのセッションが予定されこれが最後のスケジュールで、私はどちらにも参加せずこの日午前中はずっと自分の客室で休んでいた。その後ホテルの中庭メナ・ガーデンのプールサイドにあったオアシス・レストランでビュッフェスタイルの昼食、コンファレンスの期間中昼食はいつもこのレストランだった。オアシス・レストランは最近改装され新規オープンしていて現在はもうオアシスという名のレストランはなくなっている。[全文表示]

公開日 2017年12月4日 月曜日

初めてのエジプト旅行,チャネリング・コンファレンス 4日目

2017年12月3日

チャネリング・コンファレンス四日目の一九九二年十二月三日、この日午前中はバシャールと同じエササニのエラーン(Elan)と呼ばれる存在をチャネリングするアンドリュー・ベイクさんのチャネリング・セッションがあった。このエラーンという名前についてアンドリューさんは彼の惑星での呼び名と語っていたので、ダリルさんのチャネリングするバシャールのようなニックネーム的につけられた名前ではないようだった。[全文表示]

公開日 2017年12月3日 日曜日

初めてのエジプト旅行,ピラミッド貸切とポール・ソロモンとの出会い

2017年12月2日

二十五年前の今日一九九二年十二月二日は私が初めて大ピラミッドの王の間を訪れた日。そしてこの日は通常の観光客の訪れる時間帯が過ぎた後アメリカ人チャネラーのケビン・ライアーソンと私の参加していた日本人ツアーグループだけでの貸し切り入場でもあった。またこの日の日中にはチャネリング・コンファレンスの予定とは別に同じ時期にギザのメナハウス・ホテルに滞在していたポール・ソロモンからの申し出で彼のレクチャーを受けられることにもなった。[全文表示]

公開日 2017年12月2日 土曜日

エジプト,ギザのチャネリング・コンファレンス 2日目

2017年12月1日

チャネリング・コンファレンス二日目の午前中はスーザン・ヨハンセンのチャネリング・セッション、午後にはその彼女を含めた四人のチャネラーによる同時チャネリングも行われる。またこの日一九九二年十二月一日の夜にはコンファレンスのスケジュールとは別にこの時期日本人グループの全員が滞在していたメナハウス・ホテルのガーデン側にあるピラミッドビューの客室の私の泊まっていた三一六号室でダリル・アンカさんによるプライベートに近い形での少人数のグループ・セッションも行われた。[全文表示]

公開日 2017年12月1日 金曜日

エジプト,ギザの大ピラミッド上空からのチャネリング バシャール

2017年11月30日

初めてのエジプト旅行で最初に訪れたギザのメナハウス・ホテルでの滞在二日目、一九九二年十一月三十日から五日間の予定でチャネリング・コンファランスが開催された。講師にはシャーリー・マクレーンの著作や映画にも登場し、古代エジプトの賢者アトゥン・レイなどをチャネリングするケビン・ライアーソンやエササニのバシャールのチャネリングで知られるダリル・アンカ、リサ・ロイヤル、プレアディアンのチャネリングで知られるバーバラ・マーシニアック、バーバラ・ハンド・クロウなど著名なチャネラーも多く参加していた。[全文表示]

公開日 2017年11月30日 木曜日

初めてのエジプト旅行,ギザのメナハウス・ホテル到着の日

2017年11月29日

初めてのエジプト旅行は当初予定のエジプト航空から英国航空に変更され、大英博物館などにも関心のあった私はせっかくの機会だと思いロンドンでのストップオーバーを思いつき、手数料を払ってツアー会社に帰国便を変更してもらった。出発当日の一九九二年十一月二十八日は午前十一時成田発の英国航空BA006便とロンドン発BA155便を乗り継ぎ現地時間で同日夜の午後十一時過ぎにエジプトのカイロ国際空港に到着した。[全文表示]

公開日 2017年11月29日 水曜日

初めてのエジプト旅行,チャネリング・コンファレンス出発当日

2017年11月28日

二十五年前の今日一九九二年十一月二十八日は私が初めてのエジプト旅行に出かけた日。当時の私は東京芸大油画科の大学院二年生で、エジプト出発前にはギザのピラミッドのエネルギーを日本に転送してみたいというアイデアが浮かんでしまい長さが二メートル程のステンレスパイプ四本を斜辺に使い四方の底辺をステンレスの鎖で囲むという簡単な構造でギザの大ピラミッドと同比率の骨組みピラミッドをつくって大学の自分の研究室に設置したりもしていた。[全文表示]

公開日 2017年11月28日 火曜日

初めてのエジプト旅行,チャネリング・コンファレンス出発前

2017年11月25日

一九九二年の十一月末から十二月初旬にかけてエジプト、ギザで開催されたチャネリング・コンファレンスに参加することを決めたのはこの年の十月十二日に数百年に一度とも言われるカイロで大きな地震が起こった後のことで、この地震と同じ十月に都内で開催されたダリル・アンカさんの公開チャネリングの中でバシャールが語っていた自分達の宇宙船をエジプト、カイロ上空に移してきていると話していたこととが私の中でなんとなくつながってしまい、この時期バシャール達の宇宙船は実際に大ピラミッド上空にきているのだろうという思いが強くなっていったことが大きなきっかけだった。[全文表示]

公開日 2017年11月25日 土曜日

霊鷲太母(菊池霊鷲)と合気道の開祖,植芝盛平氏

2017年11月22日

昨日不意に太母(たも)さんのことが思い出されてしまって、彼女が肉体を去った日が二〇〇一年十一月後半だったことまでは記憶にあったので日付を確認し直しちょうど昨日二十一日であったことが確認できた。生前の彼女には私も含め周囲のほとんどの人はみな太母さんと呼んでいたけれども、今思い出すと彼女はあまりにも尊い人であったように思えてしまうので、さん付けで呼ぶことには強い違和感があり、かといって太母様とか菊池霊鷲師といった言葉で呼ぶことも実際に彼女と接したことのある私としてはあまりしっくりと馴染まない印象もあるので、私の文筆内で彼女のことを書く際には呼び捨て的にはなってしまうけれども一番自然な印象に近いと思われる霊鷲太母(りょうじゅたも)という呼び名で書いていきたいと思う。[全文表示]

公開日 2017年11月22日 水曜日 - 2019年11月21日 木曜日 追記

日本国内で開催された1992年のチャネリング バシャール

2017年11月1日

二十五年前の今日一九九二年十一月一日は、東京渋谷でダリル・アンカさんによるバシャールの公開チャネリングが行われていた。会場はたぶんフォーラムエイトという名のビルの上の方の階にある百人ほどが入れる大きな部屋。一九九二年秋のダリルさんの来日時には十月初旬から十一月一日までの一か月ほどの間東京、名古屋、大阪、広島、福岡の全国五か所で公開チャネリングが行われていた。この時期の東京都内でのバシャールのチャネリングでは「現在私達の宇宙船はエジプト、カイロの上空にきています」といったコメントが何度か語られていて、私が参加していない広島での公開チャネリングでもバシャール達の宇宙船がカイロの大ピラミッド上空にきていることを伝えているようだった。[全文表示]

公開日 2017年11月1日 水曜日

ギザの大スフィンクスとアトランティスの記録の間(記録のホール)

2017年3月20日

一九九八年夏に起きたちょっとした出来事をきっかけにギザ台地の地下に隠されたとされるアトランティスの記録の間(記録のホール)に強い関心を持ち始めて以来、大スフィンクス正面から日が昇る年二回の春分、秋分(昼夜平分時)は私にとってエジプト、ギザの大スフィンクスを思い起こす日になりつつある。イスラム教徒が世界中のどこに居ても聖地メッカの方向を向き祈りを捧げるように、最近では昼夜平分時が訪れる時間に合わせギザの大スフィンクスの方を向き(日本のいる場合には西向き)瞑想の祈りを捧げることが多くなった。[全文表示]

公開日 2017年3月20日 月曜日

インド瞑想の旅,聖地ティルヴァンナーマライへの最初の訪問

2017年2月8日

二十五年前の今日一九九二年二月八日は私が三度目のインド旅行にでかけた日。それ以前のインド滞在では南インドを訪れたことがなかったのでこの旅は私にとっての初めての南インドへの旅でもあった。出かけるきっかけはその当時親しくしていた私の恋人の一人とともに四半世紀前からもすでに人気店として行列ができていた千葉のインド料理レストランを訪れた際、座ったテーブルのすぐ横の壁に英語版のインド全土の地図が貼られていて、地図の中にアルナーチャラ山の聖地ティルヴァンナーマライの文字を見つけ「いつか行ってみたいね」と二人で話していたら、ちょうどこのレストランのオーナーがこれからインドに出かけるところで、南インドのティルヴァンナーマライにも立ち寄る予定になっているという話だった。[全文表示]

公開日 2017年2月8日 水曜日

柳田侃さんとの出会い,ギリ・プラダクシナと満月のアルナーチャラ

2016年8月16日

今日八月十六日は国際経済学者でまたシュリ・ラマナ・マハルシの著作の翻訳者としても知られていた柳田侃さんの命日。柳田さんは東大法学部卒、経済学博士で甲南大の教授でもあったそうだが、長男を若くして失くし落ち込んでいた時期にインド経済が専門の知人のすすめでその知人と共にインドを訪れて以来、インドに強い関心を持つようになったのだそうで、名誉教授になってからの晩年の多くの時間を南インドの聖地ティルヴァンナーマライのアルナーチャラ山の麓で過ごしていたようだ。[全文表示]

公開日 2016年8月16日 火曜日

月夜の瞑想,アルナーチャラ山頂×ギザの大ピラミッド頂上

2016年6月29日

二十年前の今日一九九六年六月二十九日は私が二度目に南インドのアルナーチャラ山に登った日。この日は満月から一晩早い十四夜目ほどの月夜で、その後もアルナーチャラを訪れる際にはだいたいいつも満月の時期に合わせてアルナーチャラ山に登っているのだが、この時は月夜のアルナーチャラ山頂での瞑想の後、三〇日の明け方にはそのままチェンナイ空港に向かい、飛行機でエジプト、カイロに移動して翌七月一日の夜にはギザの大ピラミッドに登り、月夜の大ピラミッド頂上でも瞑想に入った。[現在執筆中]

公開日 2016年6月29日 水曜日

パワースポットとしてのギザのピラミッド × アルナーチャラ山

2016年6月4日

二〇一五年の年末から今年一月にかけての一か月ほどのスケッチ旅行を兼ねた瞑想の旅ではインドの聖地の中でも北インドのバラナシと共に他の聖地とは別格とも言えるような印象のあるアルナーチャラ山の聖地ティルヴァンナーマライを含むいくつかの南インドの聖地を訪れ、その後国内線でピラミッド瞑想ホールのあるプネーのOSHOメディテーションリゾートを約十年ぶり訪れた後チェンナイ国際空港からエジプト、カイロに移動しギザのピラミッドを訪れてきた。[全文表示]

公開日 2016年6月4日 土曜日

松蔭寺 座禅堂とティルヴァンナーマライ アルナーチャラ山頂の夜

2014年12月11日

今日十二月十一日は白隠慧鶴禅師が沼津市、原の松蔭寺で肉体を去った日、遷化された日だそうだ。私が松蔭寺を初めて訪れたのは二〇〇六年秋のことで当時の私は四十二歳、四十二歳は白隠禅師が松蔭寺の境内で最終的な大悟に至った歳でもあるらしい。私はこの年の年末のインド、ネパールへのスケッチ旅行を兼ねた瞑想の旅に出かける前に旅の無事の祈願も兼ねて、今は亡き父と共に彼の車で立ち寄ったのが最初だった。今日十二月十一日はインドの神秘家OSHOの誕生日でもあり、ちょうど二十五年前の今日私は現在はプネーと呼ばれているインドのプーナに滞在していて日没後の時間帯には肉体を去る直前の時期であったOSHOとの瞑想の時間を過ごしていた。[全文表示]

公開日 2014年12月11日 木曜日

バハマのビミニ島、死者の日とアトランティス

2014年10月31日

メキシコでは十一月一日は死者の日と呼ばれその前夜の十月三十一日の夜から先祖の霊達が現世のこの世界に戻ってくるとも言われているそうだ。そして十年前の今日、二〇〇四年十月三十一日はフロリダからそう遠くないバハマのビミニ島にいた。ここ数年、特に二〇一二年の冬至の時期にエジプトのギザを訪れてからは私自身のエネルギー体が時には肉体の存在感を圧倒してしまうほどまでに活性化されてきてしまっているので、聖地やパワースポットのエネルギーも以前よりも遥かに感知し易くなってきている。 [全文表示]

公開日 2014年10月31日 金曜日

アルナーチャラの聖者 イダイ・カダルとアルナーチャレーシュワラ寺院

2014年7月26日

アルナーチャラの聖者といえばシュリ・ラマナ・マハルシの名前がすぐに思い浮かんでくるのだが、最近の私が特に関心を抱いているアルナーチャラと所縁の深い聖者にイダイ・カダル(Idai Kadar)という名の古代の聖者がいる。南インドの伝統で知られる十八人の偉大な聖者、マハー・シッダ達の一人でもある彼に関する言い伝えには聖地ティルヴァンナマライにあるアルナーチャレーシュワラ寺院内のメイン・テンプル、シヴァ寺院の本尊であるリンガ石は、イダイ・カダルのサマーディ(聖者の亡骸の納められた墓)の上に置かれたものであるといったものが残っているそうで、私が現地で聞いて確認した何人かの全員がこの伝承を知っていた。 [全文表示]

公開日 2014年7月26日 土曜日

エジプト,ギザの大ピラミッド貸切による瞑想&チャネリング

2013年12月2日

二十一年前の今日一九九二年十二月二日は、私が初めてエジプト、ギザにあるクフ王の大ピラミッド(グレート・ピラミッド)を訪れた日。この日クフ王の大ピラミッドは私の参加していた日本人ツアーグループのために貸し切りになっていて、中に入ったのは観光客の入れる時間が終わる午後四時半を過ぎた後、日没後の空には上弦の月が輝き始めていた。当時私の参加したツアーは通常の観光ツアーではなく大ピラミッド内ではアメリカの著名なサイキック・チャネラー、ケビン・ライヤーソン氏のチャネリングによる誘導瞑想と再生復活の儀式が行われた。[全文表示]

公開日 2013年12月2日 月曜日

バリ島の聖域,ブサキ寺院とアグン山

2010年6月21日

つい昨日、一九九〇年代からの暦本を見直していたら十三年前の今日一九九七年六月二十一日のところにバリ島のアグン山に登った日であるというメモが書き込まれていた。この日は満月と夏至(南半球に位置するバリ島では冬至に当たる)が重なっていたので、きっと当時の私はこの日を意識的に選んでアグン山登頂を目指したのだと思う。一般にアグン山登頂のベースになっているのがブサキ(ベサキ)と呼ばれるエリアでここにはバリヒンドゥーの総本山ブサキ寺院がある。[全文表示]

公開日 2010年6月21日 土曜日